ふふ、と揶揄を含んだ笑みを浮かべるスメラギに、ロックオンは眉を片方だけ上げて、その笑みの理由を問うた。
「この前のオフに何かあったでしょう。」
「なぜ?」
「前より楽しそうだわ。」
大人の女の勘ってヤツはこれだから怖いんだ、と、心の中で独りごち、
「貴女のアドバイスを聞いて猫を飼ったんですよ。大小2匹。」
報告書に記していたボールペンを、長い指でくるりと回しながら、ロックオンも意味深に返してやる。
「そう。……猫、ね。これじゃ益々お酒に誘えなくなっちゃう。」
「残念ながら。今は慣れない世話に夢中ですよ。」
深く紅いルージュの乗った、ぽってりと厚みのある唇の両端が持ち上げられ、薄っすら開いて歪んだ。
「猫はね。自分から近寄って来るくせに、干渉しすぎると逃げちゃうのよ。」
視線を逸らしたロックオンの、「ご忠告ありがとうございます」という乾いた笑い声が、オフィスに響いた。
* *
「おおい。そっちのプラスドライバー取ってくれるか?」
「はい。どうぞ。」
大通りを一歩入った商店街に店を構える電器屋の店主は、ロックオンと馴染みらしく、「お前さんの頼みならしょうがねぇな」と、2つ返事でアレルヤを雇った。
この店のバイトの仕事といえば、時折訪れる客の相手をしてレジを打ったり、持ち込まれた家電製品の修理をする店主、イアン・ヴァスティの手伝いをしたりと、至極簡単な作業ばかりで、アレルヤはすぐに手順を覚え、イアンともすっかり打ち解けたようだ。
「ロックオンとは友達なんですか?」
テレビの裏側の蓋を外し、コードを弄るイアンにドライバーを手渡しながら、ふと、アレルヤが口を開く。
すると、イアンは手を止め、「友達なぁ」と、肩を揺らして笑った。
「あいつも前にここでバイトしてたんだよ。」
学生の頃だったかな、と懐古に色づかせた瞳を細めたイアンが、修理を再開しながら言葉を続ける。
「何でも、小さい頃に事故で家族を亡くしたみたいでな、結構苦労してきたらしいぞ。」
「家族を……?」
「そんな苦労してる風には見せないだろ。」
イアンの話した恩人の抱える想像もしなかった過去に、アレルヤは虹彩を見開いて吃驚の息を零した。
「だって、彼は、あんなに明るくて、僕に…いえ、きっと誰にも等しく優しくて……。」
まだ、ロックオンと出会って間もない自身が、彼について何を語るのかと心の中で失笑しながらも、数日の間に彼から与えられた温かな印象が、思わず喉からとろとろと流れ出し、どうやら自分はロックオンという人間を事の外好きなようだとアレルヤはぼんやり思った。
「あいつは本当に格好いい男だよなぁ。まあ、だから今まで仕事一筋に、余計なことを考えないようにしてきたんだろうが……。」
よし、と小声で漏らし、テレビの蓋の螺子を締めたイアンが、電源のボタンを人差し指で押すと、四角い箱の中に、硬い表情をしたアナウンサーがつらつらと原稿を読む姿が映り込み、彼は満足そうに顎を撫でた。
「だが、お前さんを部屋に住まわせたり、猫を飼ったり、ちっと脇見をすることで、あいつにもいいガス抜きになるんじゃないか?」
にか、と笑顔を浮かべたイアンに、アレルヤは眉尻を下げ、苦々しく微笑んで返した。
「……でも、僕は………」
唇を開いたその時、電器屋の古い自動ドアが、ガコン、と鈍い反応でぎこちなく開き、店に入ってきた少年に、アレルヤの言葉は押し流された。
「こいつには初めて会ったか。もう1人のバイトの坊主だ。」
「こんにちは。」
にこりと首を傾げて挨拶を寄越したアレルヤの顔を、じ、と見つめた少年の褐色の瞳は、すぐにふいと逸らされ、少年は無言のままアレルヤの横を過ぎレジ台へ入る。
少年のクールな雰囲気にも負けじと追い縋ったアレルヤの、
「僕はアレルヤ。君の名前も訊いていいかい?」
という、穏やかな申し出に、少年は、それ以上話しかけられるとは思わなかったのか、驚きに微かに睫毛を揺らした後、自動ドア同様鈍い反応でぎこちなく開いた唇から、自身の名を名乗った。
「……刹那・F・セイエイ。」
「よろしく頼むよ。」
「……………。」
温度差の激しい2人のやり取りを見守っていたイアンが吹き出した。
「その坊主、愛想ないだろ。」
アレルヤは笑顔で頭を振る。
「このくらい、かわいいものですよ……もっと、柄が悪い人を知ってますから。」
「柄が悪い……?」
独りごちるような小さな声で発せられた語尾が耳に届き、眉を顰めたイアンに、アレルヤは慌てて、手を振りながら自らの言葉を打ち消した。
「あ、いえ!何でもないです。」
細かいことをずるずると気にする性格ではないイアンは、すぐに「そうか」と頷き、アレルヤに商品の陳列作業を頼むと、自身の用事を済ませるために店の奥へと消えた。
アレルヤも、ふう、と1つ溜め息を吐くと、すぐに言付けられた作業を始める。
「…お前、どこかで見たことがある気がする……。」
商品を棚に並べていると、突然、背中から浴びせられた刹那の言葉に、アレルヤは、びく、と肩を震わせた。
* *
汚れ一つ無い、磨き上げられた漆黒のセダンが路地に滑り込む。
「若ー!」
内部の様子をシャットダウンするように、黒いフィルムの貼られた運転席のウィンドウが下がり、体躯の良い若い男が顔を出す。
その声を受けて、路地裏の壁に凭れぼんやり空を見上げていた青年は、ゆっくり視線を下ろして乱暴に吐き捨てた唾液を、靴の裏で、ジャリ ジャリ、と音を立てながら土と混ぜた。
「クソみてェな呼び名をでけェ声で叫ぶな。ぶっ殺すぞテメェ。」
「すんませんっした!わ、…は、ハレルヤさん!」
助手席から転がり出た男が、後部座席のドアを開いて招き入れると、鋭い視線を投げつけたハレルヤは、憮然とした表情のままどっかりと腰を預けた。
彼の纏うピンストライプ柄の黒地のスーツからは、パリッと糊付けされた原色のシャツが覗く。上から3番目までの釦は引き千切られ、褐色の胸元を惜し気もなく露わにしていた。
派手な様相をし、大の男を怒号しながら顎で使っているハレルヤを、恐らく誰が見ても、真っ当な職に従事している者だとは思わないだろう。
いつだったか。それを嫌がった、今は行方知れずの兄に、ハレルヤは「看板も名刺も無くても、身分が一目瞭然なんだぜ。そんな得な商売、他にはねェよ」と笑った。
ハレルヤにしても、別に好き好んで目に痛い色彩で身を包んでいる訳ではない。それは ―― そう、言わば、アイデンティティであり、虚勢であり、逃げ出してしまいたくなる自らをあえて稼業に繋ぎ止める鎖でもあった。
「(近頃のハレルヤさんの荒れっぷりは、半端ねぇぜ。)」
「(あ…ああ、あの人が居なくなって、ハレルヤさんが2代目に決まった日から一層な。)」
運転席と助手席の男がシートベルトを締め直しながら、ひそひそと言葉を交わしていると、後部座席から重たい蹴りが飛び、椅子の背に直撃を受けた運転手は、ぐゥ、とくぐもった声を漏らした。
「グズグズしてねェで車を出せ!俺ァさっさとだりィ仕事片づけて帰りてェんだよ。」
「「は、はい!」」