そうだな。
お前がナイトだとすると。
差し詰め、仔犬に乗ったマガイモノのナイト様といった所か。
【 ラビット イン
ナイトメア
】
「う…あ…っ…ぐ…」
暗くどろりとした闇が、足元から這い上がって肺を侵食する。
嫌悪感が蔦のように喉に巻きつき無遠慮に締めつけ、得体の知れない嘔吐感を促す。
『次ハ無イト思イナサイ。モウ失敗ハ許サレナイ
――』
胎内のような生温さを含む、それにも関わらず、無機質で冷たい機械音が鼓膜に響き次第にフェードアウトしていく。
厭だ。
見棄てられるのは
―― 厭だ。
厭だ厭だ。
待って……俺を、見棄てないで
――….
置いていかないで。
「君はどうして人間であることを嫌がるの。」
何?
その手を離せ。
早く追いかけないと…俺は、見棄てられてしまう。
お前に構っている暇など無いのだ。
それなのに、なぜ…お前はそんなに温かい手で俺を繋ぎ止める……――…離してくれ。
「離してくれ…ッ!」
「ティエリア?」
夢の続きに悲鳴に近い声を上げながら、布団を押し退けるように上半身を起こし瞳を開くと、小首を傾げて心配そうに覗き込む顔と視線がぶつかった。
アシンメトリーの前髪の間から、穏やかな銀灰色が、じ、と此方の様子を窺っている。
彼がただ心配してくれているのだということは分かったが、夢の余韻を引きずる今は、それを素直に受け入れる気にはなれなかった。
他人に自分の弱みを露呈してしまった羞恥に、俺は彼の目線をかわすように少し俯いて、荒い呼吸を落ち着かせながら額にかかる髪をくしゃりと握り込んだ。
「すごく魘されていたけど、大丈夫かい。」
おずおずと開かれた唇の狭間から流れ出た、包み込むような労わりの声に、意思とは関係なく不必要な安心感を湧き上げる自身に苛立つ。
「ああ。気にするな。」
吐き捨てるように呟いた。
何が切欠だったのかも、幾度そうしたのかも忘れてしまったが、どちらが誘う訳でもなく、馴れ合いのようにずるずると身体を重ねる度に見る、タール程真っ黒な夢。
彼と同じ場所まで堕ちることを赦さないプライド
――
それはすでに、プライドというよりも、恐怖心に近かった。人という物に成り果てた途端、自身にとって絶対的な上司であり母である存在に、いとも容易く見棄てられるのではないかという、恐怖。
―― と、彼の湯船に浸かる心地よさとがせめぎ合い、ぐらつく足場から来る不安が悪性新生物のように体内に巣食っていた。
それでも、俺はまだ彼 ――
アレルヤの、温もりから逃れられないでいる。
目の前の彼は、そんな俺の気など知らず、眉尻を下げお決まりの微笑を浮かべて、励まそうとしているのか同調しようとしているのか、少し遠くを見遣りながら自らの体験を独り言のように紡いだ。
「僕も……、たまにだけど、悪い夢を見ることがあるよ。子どもの頃の怖い怖い夢。夢だと分かっていても、嫌な気分だよね……」
相手が聞いていなくともお構い無しに、殆どモノローグのように語る彼の癖にも慣れてしまった。
俺は、緩やかな声をBGMのように軽く耳の上で流しながら、ベッドテーブルに手を伸ばし、眠る際に外しておいた眼鏡を取ると2、3度瞬きをして引っ掛けた。
そして、
「でも
――、」
アレルヤの言葉を遮って言いながら無造作に彼の手首を掴むと、俺の貧弱な指よりも一節長いそれが、奇襲に驚いたように、ぴく、と震えた。
掴んだ手を引き、アジア系の色の濃い顔色に、つい、と顔を寄せると、彼は至近距離で直視することを躊躇うように睫毛を伏せ、窮屈そうに小さく身じろいた。
少し離れていると自分から見つめるくせに、近づくと恥ずかしがって背けられる目線に、嗤いが込み上げる。
「ティエリア……どうした、の?」
「俺が悪夢の闇に足を囚われても、君のこの手が離さない。」
違うか、と睨めつけた俺の顔を、はっと見て一瞬大きく開かれた彼の左目は、波間に跳ねる鱗のようにキラキラ輝いてすぐに、きゅ、と細められる。
「そうだね。ティエリアが怖い夢を見ても僕が掴んで引き戻してあげる。」
アレルヤは大きく頷いて、ふふ、と呑気に笑みを零した。
「僕が君のナイトって事かな。」
「ナイト……?」
騎士だなんて…――
子どもじみた夢の見すぎか、はたまた、おとぎ話の読みすぎだろう。想像を軽く1段跳び越した応答に、俺は思わず、ふん、と鼻から息の塊を吐き出し、目を眇めて嘲笑した。
彼を小馬鹿にした俺を察したのか、アレルヤは珍しく、にや、と揶揄するような表情を浮かべて言葉を続けた。
「兎の1羽くらいは守れると思うよ。」
「……馬鹿だな。」
無意識にに独りごちた呟きは、咄嗟に誰に向けたものなのか、自分でも分からなかったが。
そう遠くない未来にきっと……あの人…に、見棄てられる不安が、波のように次から次へと押し寄せてきて、いずれ独りぽつんと投げ出された自分を委ねられる存在が欲しいだけなのだと、気づかないフリをしながら、優しい温もりを与えられるまま貪る俺も。
その俺に、何も知らず微笑みかけながら、純粋に心を分け、身体を開く彼も。
本当に、馬鹿だ。
それでも、手を離したくないのは、俺の方なのか、彼なのか、と、考えることすら次第に滑稽に思えてきた俺は、唇の端を持ち上げていびつな笑みを造り顎をツンと上げた。
「俺がお前のようなマガイモノのナイトに守られる兎だと?嗤わせるな。俺はお前の光だ。」
「だから、お前は俺に手を伸ばして、俺を離そうとしない。」
それだけだ、と腹いせのようにわざと横柄に吐き捨ててやった。
「はは。いつものティエリアだ。」
アレルヤが瞼をゆっくり上下させると、彼の謙虚さを具現化したように少し俯き気味に生え揃った睫毛が儚く揺れた。
〔 fin 〕