諸手を挙げ、丸腰のアピール。
赦しを乞うように、伏せた眸。
膝を摺り寄せる焦れったい内股は、
負け犬がしゅんと垂らした尾を、前方へ挟み込む仕草にも似ている。
だが。
それ程無防備なお前以上に、
俺は、無力さ。
無力で、
無力で、
その癖、残るのは――安堵。
【
爪とマーキング
】
モスグリーンのTシャツの襟ぐりと鎖骨との境目に、鼻の頭を擦り付け、すん、と、息を吸い込む。
馨った汗のにおいは心地良く、アレルヤは、その空気に包まれている今を酷く幸福に感じた。
数百年前の学者が、「身体が纏う馨りを好まく思う相手と己とは、遺伝子のタイプが遠く離れている」と、言ったことを思い出す。
それは、正解かもしれない。
自分に無いものを持っている。
だから、こんなに惹かれる。
「ん、何かにおったか?」
腕の中のアレルヤが、控えめに鼻腔を鳴らしたことに気づいたロックオンは、少し身を引き問うた。
自分とて殆ど無意識に嗅いでおり、まさか相手が即座に反応を返すとは思いも寄らなかったものだから、アレルヤも微かに肩を震わせて、しかし、
「ええ」
肺に溜まる芳香を思い返しながら、素直に頷いた。
翡翠の虹彩が一瞬ぶれ、苦々しく笑む。
「これでも、紳士たるもの、エチケットには気をつけてるんだけどな」
浮かない表情の意が分からず、「エチケット…?」と囁くように繰り返したアレルヤは、直後、齟齬に気づき慌てて首を振った。
「あっ…いえ、そういうつもりで言った訳では……」
再び顔を寄せる。
軽薄なコロンなどより余程良い。
熱い鼓動が放つ馨りだ。
「すごく、安心するにおいだな、って」
仄かな狼狽を見せた後に、珍しくアレルヤの方から頭を預けられ――、その様子を密やかに楽しみ、ロックオンは上辺の暗雲を払って微笑む。
「そりゃ、嬉しいね」
艶やかな後頭部を撫ぜてやると、顔を肩口に埋めたままの彼は、近い距離に今さら照れたのか、赤い耳だけは欹てて、項垂れるように俯いた。
可愛い台詞を吐き逃げなどされて堪るか。
黒革に包まれた指は、沈もうとするアレルヤの顎を捉え掬った。
「だが――、安心ばかりもしてられないと思うぜ」
囁きながら、それでも逸れようと試みる銀灰色の光も余さず執拗に追う。
「……な、ぜ…です?」
「紳士であらんとする以前に、俺も雄だってことさ」
アレルヤの喉に陰影を付ける隆起が、こくん、と上下した。
「気に入った場所には、お前さんの言うにおいってやつを、すっかり移してしまいたくなることだってある」
仕舞いに「いやー、俺もまだ若いね」と付け加えたロックオンの眸の奥で、ほんのり紅潮した顔も和らいだ笑みを見せた。
「安らぎだけじゃなくて、それ以上、感じてくれよ」
至近距離のウインクは息を呑むほど綺麗で、先程自ら雄と称した彼を否定したくなる。
それでも――、きっと彼がしようとしている、そして自身が望む先を脳裏に描くと、寧ろ、互いに求め合うという行為自体、矢張り動物じみていた。
「ん…う、」
ロックオンが啄ばむように唇の感触を確かめ、そして、深く合わせると、アレルヤは睫毛を震わせ瞼を伏せた。
ゆったりと横たえられる。
安いスプリングが少し撓んだ。
背に触れたシーツさえも温かく馨り、眸を閉じた闇の世界を四方から包む彼と言う空気に、身体を漂わせる。
額、鼻、頬と、順に擦り合わされ、本当に印付けをされている気分だ。
擽ったかったが、ロックオンの居場所になるなら、それも構わない。
時折耳朶にかかる吐息に、ぴり、と電流が走る。
静電気程の、もどかしい、微弱な電流が。
それによって生産されるのは、漏れ泣くような声。
「…は……」
ロックオンは歯を使い器用にグローブを外し、触れたがっている手の平を、濃紺の下に息衝くアレルヤの胸へ押し当てた。
撫ぜ上げては、吸い付く感触を愉しむ。
とく、とく、と響く音に誘われるように、手早く露わにした肌と肌を直接寄せ合うと、アレルヤの言う「安心」の意味がよくよく分かった気がした。
では、これから、「それ以上」を捧げよう。
中指を口腔に含み、たっぷりと唾液を絡ませる。
腹の上を滑り落ちたそれは、透き通る道を描きながら、腰を回り双丘に辿り着いた。
容易く割り開いて、探るように進めるロックオンに、アレルヤは薄っすら表情を強張らせる。
だが、その眸を掠めた熱も、見逃さない。
「っ……ァ…ふ、あ……」
息に込められた期待も、聞き逃さない。
くちゅ――、微かな水音が、開く、開く。
このにおいを嗅ぐ度に思い出せとでも言うように、馨りも一段濃くなった。
馴染ませるように浅く捏ね、次第に埋もれてゆく、長い指のもたらす感覚に抗おうとシーツを握り締め過ぎたアレルヤの手からは、血の気が引いている。
ロックオンは、空いた片方の手の平で覆い宥めると、自分の肩へ回すよう促した。
薄茶色の柔らかな髪の流れる首に向け、ゆるゆると腕が伸びる。
「そうだ…掴まってろよ」
低く呻るように呟いて、内側で蠢めかせていた指を抜く。
そのまま、アレルヤの腰を抱くようにして引き寄せると、おもむろに姿勢を起こした。
「や…ッ……え…?」
ベッドの上、投げ出された2本の足を挟み膝立ちになったアレルヤが、突然変わった視点に混乱する思考回路を繋ぎなおす前に、ロックオンは抱えたその腰を己の中心へ――堕とした。
そして、何が起こったのか知らしめるため、僅かに腰を揺すってみせる。
「ッひ、――……あァ…ア、っ」
身体が真っ二つに裂けたのではないかと疑う痛みと、腹の底から湧き出る悦楽とが、綯い交ぜになって、アレルヤを襲う。
穿つ熱の塊から逃れようにも、打ち震える四肢は力の込め方を忘れてしまったのか、がくがくと笑い、体勢を保っていることすら難しく、身じろぐごとに自らの体重で一層深くまで誘い込んでしまう。
呼吸もままならず、えずく口の端から雫が零れた。
「ふ……っ…う…」
少し、無茶したか。
動きを止めたロックオンは、ぎゅう、と掻き抱いたアレルヤが落ち着くまでと、背を撫で摩ってやった。
礼を言う代わりに、荒い息を繰り返した唇が薄く開き、隙間から、ふふ、と笑みが与えられる。
「だ、いじょ…ぶ…ですよ…僕は、頑丈……だから…ッあ、」
眉を顰めて辛そうな顔でよくもそんなことを。
胸に込み上げた甘酸っぱさに突き動かされ、相手を気遣う余裕さえ霞んでゆくようだ。
再開されたリズムを最奥に刻む。
徐々に、甘い波が痛みを押し流し始めたようで、アレルヤも動きに合わせて遠慮がちに腰を踊らせた。
切れ切れの息。
湿った音。
遂に中身まで同じ馨りに塗り替えてしまう極みが、近づく。
アレルヤは夢中でロックオンにしがみついた。
「……つ…」
「ん…あ、っ……ごめ…な、さ…」
白い肌に幾つかの赤い筋が浮かび上がる。
思わず引っ掻いてしまったらしい。
ロックオンは眉根をひくりと寄せたが、そんな些細なことで漸く共に喜悦を貪り始めたアレルヤの気を逸らされたくないと、くちづけで赦した。
しかし、優しい彼は申し訳なさに手の置き場を惑い、集中できなくなった様子で。
どうしたもんか。
さっと逡巡し、
「そうだ、」
頷いて、繋がったまま身体を捻ったロックオンがサイドボードの引き出しを開き、取り出したのは小さな銀色の――、
「危ないから、動くなよ」
掠れた声で耳を食み、居心地悪そうな手を恭しく取り持ち上げた。
ぱち
ぱち
爪を挟み、弾くように摘む。
軽やかな刺激が、下腹部に響く。
「…んん……」
じっとしているのにも焦れ、無意識に動いた腰のせいで、
「おっと…、」
冷たい金属が指先に当たり、傷つくことは無いとは知りつつも、反射的に身が竦み、同時に熱を咥えた場所が、ひくん、と窄まった。
動物が身体の外側に、生まれながらにして唯一授けられた武器を、奪われてゆく。
全てが丸みを帯びたとして――、何の攻撃もできない自身は、存在することを怖れるだろうか。
「できた。これで、存分に俺を抱きしめられるぜ」
「ありがとう……っはぁ…ッ…あ」
答えは「NO」だ。
この馨りに包まれている限り、大丈夫。
穿つロックオンが、ふいに静止し、顔を顰めて漏らすように問うた。
「もう、いいか?」
こくこくと頭を振って解放へ導くと、直後、同じにおいに包まれた。
「……やっぱり、それ以上でも以下でもなく、「安心」でした」
疲弊した笑みを見せたアレルヤの頬に、触れるだけのくちづけを降らせる。
「ねえ、ロックオンの爪が伸びたら、僕が切ってあげます」
「俺はいいよ」
「切らせてください」
「そうか?」
「はい」
いやに嬉しそうな顔だな、と首を傾げるロックオンに、
「もう1度、素肌の手の平に触れる、約束です」
普段は常に革に包まれている白い指が晒されるのは、つまり、そういう密やかな時間だけ。
悪戯っぽく喉を鳴らしたアレルヤに、ロックオンは眉尻を下げて唇を歪めた。
「ああ、降参だ」
薄くなってしまわないよう、幾度でも、馨りを分かとう。
すっかり移してしまえたなら、きっと、たとえ離れ離れになっても印を辿り、迷わず帰って来れるから。
この、安らげる、居場所に。
〔 fin 〕