始まりは、ほんの小さなこと。
これまでだって、大抵は、そうだっただろ。
欲望は、一種の衝動。
君が欲しいだなんて、自分でも、信じられなかったけど。
【
切欠が玉ねぎなんて、最悪 】
「うまいか?」
先刻の、人参弾の被害者が、「どうだ」と自慢げに目を輝かせる。
*
*
橙色の暴発について、お咎めはなかった。
ロックオンは、「大方、皮むきに飽きてキレたんだろ。いつものことだ」と頭を摩りながら笑った。
*
*
木目調のテーブルに並ぶ、ベビーリーフのサラダとバゲット、そして湯気の踊るクリーム色のシチュー。
スプーンですくって口に運ぶと、濃厚なバターが鼻腔に香り、とろりと喉を流れて身体を温めた。
ジャンクフードとサプリメントの侵食で、人工調味料に占められていた身体が、久々の家庭の味に歓びの声をあげる。
「……うまい。」
俺は、スプーンを皿と口の間で行き来させながら、こく、と頷いた。
「本当、おいしいね。」
横に腰かけたアレルヤも、忙しなく手を動かしながら、舌鼓を打っている。
アレルヤを苦しめた玉ねぎは、シチューの中ですっかり絆され、甘く溶けている。
「たまには、悪くないよなぁ。こんな食卓も…。」
ロックオンは、好意的なテイスター達に頬を綻ばせながら、ふ、と視線を遠くに流した。
確かに、俺も、ずっと忘れていた…――
体温を感じる、食卓。
冷たい銃を手にした日から、俺の世界は熱を失った。
望んでも手に入らないものなど、初めから望まないことで、自分を守った。
無機質な人工調味料は、厄介な感情を抑えるアスピリン。だから、ジャンクフードを好んだ。
シチューの温もりは、他人と共にする食卓は、傷口に爪を立て、押し込めていた感情を掻き乱す。だけど、それも、悪くない。
「そうだ。」
スプーンを皿の端に置いたロックオンが、ガタ、と音を立て立ち上がった。
鼻唄混じりに冷蔵庫へ向かうと、口の端を、にや、と持ち上げて振り返る。
手にしているのは、スタウトスタイルビールのボトル。
「久々に買っちまったんだよなー飲もうぜ。」
「あの、ロックオン?僕と刹那はまだ未成年ですけど。」
アレルヤは、ロックオンの手元に視線を投げ、バゲットをちぎりながら眉を顰めた。
「俺は…、飲める。」
「おー刹那、飲め飲め。アレルヤも、そう、かたいこと言いなさんなって。」
ロックオンが栓を抜くと、プシュッと軽快な音を立て、泡が溢れる。
グラスに注がれた黒い液体が妖しく揺れて、華やかな香りを放った。
ごく、と嚥下すると、酸味と苦味が舌を刺激する。確かに癖になりそうな味だ…――決して美味しいとは思えなかったが。
「…苦い。」
「スタウトは普通のラガーより強いからな。でも、味が深い。」
ロックオンは自分のボトルの栓を開け、そのまま口を付けた。らっぱ飲みで、ごくごく、と喉を鳴らす。
その様子を横目で見ながら、アレルヤは、諦めたように小さく溜め息を吐いた。
「はぁ…まったく。」
*
*
パチ、と目を開くと、部屋は真っ暗だった。
ベッドに突っ伏したまま、いつの間にか寝ていたようだ。
誰かがかけてくれたらしい、ブランケットから這い出して、目を凝らすと、テーブルの上だけではなく床にまで、中身の空いたビールのボトルやスナックの袋など、先程までのパーティーの残骸が散らばっていた。
酔いが回り、母国の歌を歌いだしたロックオンや、いつになく饒舌なアレルヤを覚えている。
が、その姿は見えない。
「…帰ったのか…?」
立ち上がろうとすると、ずき、と頭が痛んでよろめいた。
あの黒い液体の所為だ。頭がぼーっとする。
「……や…。」
と、ふいに、くぐもった声が耳に届いた。
音の方へ視線を向けると、薄く開いたユニットバスの扉から、明かりが漏れていた。
痛む頭を押さえ、ふらふらしながら近づくと、次第にその声が明瞭になる。
「…ゃ…だめ…、です…って……こんな所で……」
「すぐ…終わるから…集中しろって。」
「もう…酔っ払い……ん…」
「俺は、もう酔い冷めちまってるぜ。」
「うそ…刹那が…起きて……ひぁ…ん」
吐息混じりの、聞き覚えのある声。
――…先程、ダニー・ボーイを奏でた声と、そして、あの、穏やかな声。
一体、何なんだ…――この状況は。
今日何度目の、瞠目だろう。
扉の隙間から中へ視線を滑り込ませると、バスルームの壁を背にして床に膝を付き、モスグリーンのTシャツにしがみつくアレルヤの顔が、目に飛び込んできた。
ロックオンの唇が首筋を這い、アレルヤは息を吐き出しながら、身体を震わせる。
「……ッ」
俺の喉が、ひゅ、と乾いた音を立てた。
同じだ。玉ねぎの時と同じ…――
頬が高潮し、銀灰色の瞳から溢れる涙。
――
どくん
――
また、動悸がする。
やっぱり、透き通って、綺麗な色だった。
無意識に手に力が入り、掌の中で扉がキィ、と啼き声をあげた。
「……ッ!せ、つな…」
アレルヤが息を呑み、しっとり濡れた睫毛が揺れる。切れ長の瞳が、俺の姿を映し見開かれた。
ロックオンの腕の中で身を捩り、捲り上げられ、乱れたインナーを慌てて下ろす。
「あー…起きちまったのか。」
事も無げに振り返り、腕の中からアレルヤを解放したロックオンの横を抜け、アレルヤに近づいた俺は、しゃがみ込んだその男の顎を掬って、衝動的に涙を…――
舐めた。
「……ん」
アレルヤの肩が、ふる、と揺れ、顔に驚きの表情が浮かぶ。
「あ!刹那、おま…」
柔らかい頬に触れた唇が、ロックオンに引き剥がされた。
――
どくん
――
身体の芯が、熱い。
ロックオンは、俺の異変に気づいて、ふ、と口の端を歪めた。
「刹那…お前も、人並みの欲はあったんだな。」
その声色はどこか嬉々としていて、その瞳は、何か面白いことを思いついた子どものように、いや、寧ろ、何か企む悪い大人のように、ゆらりと煌めいた。
「アレルヤ、刹那の熱を冷ましてやれよ。」
「…え……そんなこと…できな…」
「あいつはお前に欲情してんだろ。責任取ってやらないと」
ロックオンの少し筋張った長い指が、アレルヤの顎を、つ、と伝い、唇を開く。
未だずきずき痛む頭はすでに思考を停止し、訳が分からないまま、俺は、その紅い口の中に、熱を捻じ込んだ。
「…っふ…ぁ…あ、む…」
「…ッ……!」
今まで感じたことのない感覚に、背中がぞくりとした。
初めは戸惑ったように、奥で縮こまっていた舌が、おずおずと動き、温かい唾液がねっとりと絡みついてくる。
伏目がちになっている所為で、照明を反射して光る宝石に彩られたアレルヤの睫毛が、羞恥に染まった頬に陰を落としている。
その整った顔立ちと、口の端に覗く淫らな俺の熱。そのコントラストが、やけに、ミスマッチで。
バスルーム中に響く淫靡な水音と相まって、一層、感情が煽られる。
「ん…ぁふ……っ…」
俺の腰がゆるゆる動き、アレルヤの口腔を混ぜた。舌が内側の筋を擦ると、電気が走るような甘い痺れが俺を襲う。
止め処なく排出される先走りと、飲み込み切れなかったらしい唾液が混じり、アレルヤの顎を伝ってインナーを汚した。
「……っあぁう…ッ」
ふいに、アレルヤの嬌声と共に、宙に光の糸を描きながら、唇が離れる。
それまで壁にもたれ、じ、と様子を見ていたロックオンが、アレルヤの背後に回り、俺への行為に、頭を擡げ始めていたアレルヤの前を、やんわりと掴み込んだのだ。
俺の熱が、離れるのを惜しむように、ひく、と収縮した。
「はぁ…あ…ん…ぁあ…」
「こっちは、俺が触ってやるから。ほら、口がお留守になってるぜ。」
肩を使って荒い呼吸をする、アレルヤの耳朶を甘噛みしながら、ロックオンが囁く。
俺は、ロックオンから奪い取るようにアレルヤの顔をこちらに向かせ、再び唾液に熱を沈めた。
夢中でぐちゃぐちゃと掻き回すと、アレルヤの瞳から透明な雫が流れた。
―― もっと見たい
――
「…んく…ん…」
アレルヤは顔を横にして、付け根から先まで、つつ、と唇を這わせた。先端を、ちゅ、と音を立てて吸われ、俺の熱は限界まで膨張する。
「…ッあぁ…あぁああっ」
「……くっ…」
ロックオンの掌に包まれた下腹部から雫をこぼしながら、アレルヤが一際高い嬌声をあげると同時に、バチン、と音を立ててブレーカーが落ちるように、俺の意識が弾けた。
瞼の裏が真っ白な世界に包まれる。
甘く心地よい痺れに全身が震えた。
*
*
「はぁ…。」
熱い息を吐き出しながらバスルームの扉の前に腰を下ろし、飲料水のボトルを傾けて、ごくごくと飲み下した。
「僕にも、1口もらえるかい。」
余韻に潤んだ瞳がこちらを向き、かすれた声で要求され、俺は、頷きながらボトルを手渡した。
頭にずきずき痛みを与えていた酔いも、すっかり冷めてしまった。
一体、何なんだ…――この状況は。
始まりは玉ねぎだったはず。
玉ねぎを切っていた、アレルヤの涙を綺麗だと思って。
「それは、恋だぜ、刹那。」
座り込んだまま動けないアレルヤに、肩を貸したロックオンが、どこかで聴いた台詞を吐いた。
そう…――涙を綺麗だと思って、綺麗な涙を流す男をも、また、綺麗だと思った。
好き、なのか。
あの涙が。綺麗な涙を流す男が。
それは、まだ、自身の中でも不確かな感情ではあったけれど。
「でも、アレルヤは俺のものだからな。」
栗色の髪が揺れアレルヤの肩を抱いたロックオンが、「渡さないぜ」と片目を瞑ってみせる。
「僕はものじゃないよ。」
アレルヤは、困ったように眉尻を下げて微笑んだ。
2人の様子を一瞥し、ふん、と鼻を鳴らした俺は、素早く動いてロックオンに体当たりする。
そのまま、アレルヤの頬を両手で包み、唇を奪った。
「せつ…っ」
アレルヤが驚いて吐き出した吐息を飲み込んだ。
柔らかい唇を味わった俺は、ふいをつかれバスルームの床に尻餅をついたロックオンに向かって、にやり、と挑戦的な笑みを向けた。
「せ、刹那ぁ!」
切欠が玉ねぎでも、いい。
切欠が玉ねぎでも…――俺は、恋をした。
〔fin 〕