切欠が玉ねぎなんて、最悪

始まりは、ほんの小さなこと。
これまでだって、大抵は、そうだっただろ。

恋は、一種の錯覚。

君に恋しただなんて、まだ、あんまり信じてないけど。


【 切欠が玉ねぎなんて、最悪 】


「………。」

一体、何なんだ…――この状況は。

よく足を運ぶ公園で、お気に入りのホットドッグを片手に、行き交う人々や、パン屑を啄ばむ鳩の群れにぼんやりと視線を預け、しばしの休息を貪った後。
殺風景な自室へ戻り、ドアを開けた瞬間、目に飛び込んできた、プライベートタイムを侵す、2つの見慣れた人影に、俺は唖然とする。
ベッドに陣取って、我が家のように寛いでいる、ロックオン・ストラトス。そして、その横には、申し訳なさそうに眉尻を下げ、ちょこんと腰を据えたアレルヤ・ハプティズム。
「よぉ、刹那。おかえり。」
「お邪魔してるよ。」
邪魔してる、だと?…―― ああ、その通りだ。ここは、俺の不可侵のテリトリー。
部屋自体には、愛着などこれっぽっちも持ち合わせていなかったが。
それでも、この匣は、煩い喧騒や他者との係累から放たれる、唯一の場所なのだ。
「何のつもりだ。」
俺は玄関に立ち尽くしたまま、押し殺した声を漏らす。
「何って…。どうせ暇にしてるだろうと思ってな、遊びに来てやったんだよ。それより、玄関の鍵、開けっ放しだったぞ。」
手をひらひらと振りながら「無用心だな」と、暢気に笑うロックオンを、俺は、き、と睨めつけた。
余計なお世話だ。 が、しかし。確かに、開けたままにしておいた報いが、今、この状況なのか。
俺は諦めて、ふう、と嘆息し、靴を脱ぎ捨てると、冷蔵庫に向かった。
小さな扉を開くと、堰を切ったように冷たい空気が流れ出す。
サプリメントやプロテインと少しの食料、そして飲料水のボトル…―― 普段、俺は、最低限必要な物しか入れていない。ただ、今日の冷蔵庫は様子が違った。
「…!?」
目を見開いて、侵入者達の方へ振り返る。
「刹那、ちゃんと食べてるかい?」
「今日のディナーは俺がご馳走してやる。」
「……。」
冷蔵庫にぎゅうぎゅうに詰められた食材が、雪崩を起こし、俺の足元に、どさ、と転がった。

* *

「刹那は人参の皮むき、な。アレルヤは、玉ねぎを切ってくれ。」
あまり使われた形跡も無く眠っていたキッチンは、ロックオンの声によって命を吹き込まれたように、俄かに本来の明るさを取り戻した。
ロックオンの料理の腕は、確かなようだ。口惜しい程、何でも器用にこなす男だった。
簡単な作業を俺とアレルヤにてきぱきと配分し、自身は、鍋を混ぜては味見をしたり、見事な包丁捌きを披露したり、狭いキッチンの中で軽やかなステップを踏むように、右に左に動いていた。
部屋中に拡がる、温かく香ばしい蒸気が、鼻をくすぐる。
「…う…。」
ロックオンに手渡されたピーラーを使って、黙々と人参と格闘していた俺の横で、ふいに、アレルヤの細い声が漏れた。
トントン、とぎこちなくリズムを刻んでいた、包丁を持った手が動きを止め、微かに震えている。
「どうした。」
気分でも悪いのか、と、視線を上げると、アレルヤは頬を高潮させ、銀灰色の瞳にいっぱいの涙を溜めていた。瞬きと共に、ぽろりと雫がこぼれる。
視線に気づき、俺の方を向いたアレルヤの濡れた睫毛が、微かに揺れて光を散らした。
初めて見る、年上の男の涙に、俺は、ぎょっとして、視線を逸らし宙に泳がせた。
―― どくん ――
動悸がする。
きっと、驚いたんだ。
穏やかだ、という漠然としたイメージはあったものの、いつもモビルスーツを扱い、炎を吐き出しながら戦場を駆け抜けている、この男の泣き顔なんて、想像したこともなかった。
涙って、こんな色だったのか…――
今まで、見も知らぬ人々が、恐怖に慄き、命を乞い、赤黒い涙を流しながら叫ぶ顔は、何度も目にしてきた。だけど。涙がこんなに透き通った綺麗な色だなんて、知らなかった。
「…た…玉ねぎ…しみる…。」
「あ…、代わ…」
「あー悪ぃ、アレルヤ。ありがとな。」
俺の「代わってやろうか」という小さな提案は、蒸気に混じり、ロックオンの声に掻き消された。
「お?刹那、何か言ったか?」
ぽろぽろと大粒の涙を止め処なく流すアレルヤの頬を、大きな掌で拭いながら、ロックオンが訊ねたが、俺は再び人参に視線を落とし、「いや…」とだけ呟いた。
―― どくん どくん ――
まだ、心臓が煩い。
何か熱い物が喉に突っかかったような不快感が、体中を這いずり回る。
胸がムカムカする。
―― どくん ――
煩い。煩い。

一体、何なんだ…――この状況は。

栗色の髪が揺れて、心配そうにアレルヤの目を覗き込む。
至近距離に近づいた顔にも、全く動揺を見せず、拒むこともなく、ただ「大丈夫だよ」と微笑むアレルヤ。
それは、きっと、誰が見ても、親しい仲だと分かる光景だった。
想像…―― してしまった。
あの男の顔がそのまま近づいて、アレルヤに触れる…――
「…や…め、ろ…。」
―― どくん どくん どくん…――
無意識に、左手が持ち上がり、手首がスナップをきかせた。
シュッっと風を切る音だけが耳に残る。
「いってぇ!」
ロックオンの声が響いた。
は、と、気づくと、俺の手から人参の重さが消えていた。
後頭部を押さえながら、俺の方へ振り返るロックオンと、何が起こったのか分からず、未だ潤む目を瞬かせながら、ロックオンと俺を交互に見比べるアレルヤを尻目に、俺は玄関から走り出た。

* *

「あれ、刹那君。こんばんは。」
「沙慈…、クロスロード…。」
背中越しに、扉がバタン、と、派手な音を立てた。と、丁度同じタイミングで部屋に戻って来たらしき隣人に、明るく声をかけられる。
今日はプライベートもくそもあったもんじゃない。
「今、ご飯作ってる最中だったんだね。」
「……。」
それ、と指された先には、俺の手に握られたピーラー。
強く結んでいた拳を開くと、爪に傷ついた皮膚がじわりと血を滲ませていた。
「うわー。そんなに力入れて皮剥いてたの?」
「…煩かったから、人参、投げた。」
「…は?」
大きく見開いた目をパチパチと瞬かせる沙慈の方へは見向きもせず、混乱する自分の頭の中を整理しようと、俺は、たった今起きた出来事を、独り言のように切れ切れに呟いた。
俺が話を進めるにつれ、隣で耳を傾けた沙慈が、顔をほころばせる。
何が可笑しいんだ、と睨めつけた俺に、沙慈は、ふふ、と笑って、
「つまり…、その人の涙を見て、心がザワザワして。その人に顔を近づけた男にイラついて、人参を投げた、と。」
ご丁寧に、まとめてくれた。

言葉にしてしまえば、驚く程、簡単な出来事。
そして、驚く程、理解不能な己の行動。

「それは、恋だよ、刹那君。」

………はぁ?

満面の笑みを浮かべる隣人に、今度は俺が瞠目した。

恋、だと?
「馬鹿な。」

俺は、驚いただけ。心臓が煩かっただけ。
ただ、涙の色が綺麗だと、思っただけ。

でも、例えば…――
例えば、隣人の言う通り、このムカムカが、恋だとして。

切欠が玉ねぎ、なんて、滑稽で。
――…なんて、最悪。


〔to be continue... 〕

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