つまる所。
やっぱり一緒にいた方がいいってこと。
地獄へだって、お供するさ。
それくらい覚悟を決めろって。
仕事の鬼に、背中押されたんだ。
【
そして、僕らが知ったこと
】
プトレマイオスの一角に設けられた展望室。柵の向こうに広がるのは、果てなどない永遠の闇と、生まれては消える儚い希望のような光。
首を回してそれらをぼんやりと眺めながら、手すりにもたれている背中
―― 鍛え抜かれ程よい筋肉を纏い、それでいてどこか儚く、憂えた陰をもたたえていた ――
を、エメラルドの双眸に映して、ロックオンはゆったりと歩み寄る。
「よお、こんな所にいたのか。探したぜ。」
自らを落ち着かせるように、喉を絞って静かに押し出したロックオンの声に、背中が、ぴく、と震え、眉尻を下げて今にも泣き出してしまいそうな顔をした青年が振り返った。
思慮深い性格を表すような、形の良い小さめの唇が少し開かれたが、言葉を紡がれることはなく再びきつく結ばれる。
どうあっても、だんまりを決め込むつもりらしい。
(まだ、話をしてくれる気には、ならない、か…)
アレルヤの銀灰色の瞳は頼りなげに宙を彷徨い、さっと身体を動かすと、ロックオンの横をすり抜けて展望室から離れようとする。深い緑色の跳ねた毛先が歩く振動に合わせて揺れ、嗅ぎ慣れたシャンプーの香りが空気に乗って鼻を擽った。
*
*
滑稽な追いかけっこが始まったのは、そう、2日前の夜だった。
全部、いつもと同じだったのに。
同じだったのに。
(同じ ――
少なくとも、俺はそう思っていた。)
その日、ミッションを終えて帰艦したロックオンはオレンジ色の相棒に整備を任せると、その足で自室へ向かい、コーヒーを2つ淹れてベッドの端に腰を下ろした。
しばらくぼんやりと冥想していると、予想通り、シュン
―…扉が開く音と共に、穏やかな空気が流れ込んでくる。
ミッションが落ち着くと、どちらかの部屋に向かうことも、気がつくと暗黙の了解になっていた。
「アレルヤ終わったのか。」
「ええ。」
「ほら、コーヒーあるぜ。」
「ありがとうございます。」
隣に腰かけるように目で促すと、素直に頷いたアレルヤはそっとベッドの端をたわませた。
温かいカップを片手に、当たり障りのない会話。
アレルヤと過ごす時間は、戦闘の孤独と葛藤をゆっくり解いて、日常に
――
1人の人間に、還ることのできる、ロックオンにとって無二の時間のように思われた。
こく、と飲んだコーヒーの予想を越えた熱さに、舌をほんの少しやけどして小さな悲鳴をあげると、「大丈夫ですか」と心配そうに顔を覗き込むアレルヤ。
「大丈夫。大丈夫。」
照れ隠しに、にや、と笑って親指を立ててみせると、アレルヤも安堵の表情を浮かべて微笑んだ。静かに包み込むようなその笑顔に、ロックオンはいつも、心を鷲掴みにされたように瞳が離せなくなる。
(はあー…かわいすぎるぜ。)
底を見せたカップを床に置いたアレルヤの指に、グローブで包んだ長い指を絡ませると、それだけのことで、アレルヤは軽く身体を強張らせて頬を紅潮させながら、戸惑ったように首を傾げた。
目の前にいるのは確かに自分よりも背の高い男なのに、そうした反応の1つ1つに、子どもや動物に抱くような止め処ない愛情が胸に込み上げ、ロックオンは自身に思わず苦笑する。
(そんな顔すんなって。)
絡めた指をそっと持ち上げ唇に寄せると、くちづけを落とした。
「あ…」と吐息を漏らしたアレルヤを、悪戯めいた笑みを刻み上目遣いでじっと見つめながら、1本1本丁寧に舌を這わせた。
アレルヤは、よく、自分の手を嫌いだと言う。血の染み付いた掌が嫌いだと
―― でも、それは、アレルヤが優しい証拠だと、ロックオンは思う。
(俺は、復讐をできる手があることが、嬉しいとさえ思う…、酷い人間だからな。)
アレルヤの嫌だという血の匂いを消して吸い尽くしてしまうように。
否、寧ろ、主人の慈悲の前に跪いて、屈服と敬愛を示す従者のように。
ロックオンは、口に含んだ細い指を時折歯を立てながら、存分に味わった。
そうすると、銀灰色がすぐに熱を帯びて潤んでくることも知っていた。
肩口に強めに体重をかけると、抵抗もなくゆっくりとベッドに沈んでいく身体。
服を通しても容易く伝わってくる鼓動は、期待と不安をない交ぜにして嬌声へ変換させ、アレルヤの唇から流れ出る。
「…はぁっ……」
化学変化を起こすように、互いの吐息が火を点け合い、身体を燃やした。
シーツの中で縺れて泳ぎながら、ロックオンは、ぽつりと呟いた。
「……なあ、アレルヤ。俺の事…――
好き、か?」
「んんぅ…は…ッ…」
が、小さな質問の答えは、アレルヤの熱い息に溶けて吐き出されることはなかった。
明け方に1度目覚めると、腕の中にあった温もりは、身支度を整えて部屋から消えていた。
*
*
その時は、自室で眠りたいこともあるだろうと、気にすることもなかったのだが。
(それからなんだよなぁ。避けられてんのは……。)
そしてまた、今、シャンプーの香りだけ残して、横をすり抜けて行こうとしている彼。
何が悪かったってんだ。
俺は、どこで間違えた。
言ってくれないと分からないことだって…――
(そうだ…全部分かってるつもりになってたが。本当は…知らないことだらけだぜ……)
訳も分からず自身を拒まれる言いようのない口惜しさに、暗転した心が、どろりと溶け出してしまいそうな感覚を覚えた。無理矢理つくった笑顔の裏で、ざわざわ、ざわざわ、と風に揺れる木の葉のようなノイズが、先刻ティエリアによって鮮明にされたはずの思考に、理性に、モノクロの砂嵐をかけようと騒ぐ。
ロックオンの手が音速の速さで動き、半歩扉から出かけたアレルヤの手首を、展望室の壁に縫い止めた。
「…何だってんだよ………アレ……」
息が苦しい。喉はカラカラに渇いて、声が掠れる。
アレルヤは驚いたように瞳を見開くと、すぐにロックオンの鎖骨辺りに目線を伏せた。
「ル、ヤ……?」
手首を強い力で掴んだまま、正面からその顔を見たロックオンは、魚の小骨が喉につっかえたような違和感を感じた。
睫毛が影を落とした頬は、その顔は、まるっきり。
(照れてる時の顔と、一緒だぜ。)
無理矢理唾液を流し込んだ喉が、ごく、と鳴った。
嫌悪から避けられているのではないことは分かった、と同時に、一層頭の中が混乱する。
(何でそんな顔するんだよ。)
「…嫌いになったんじゃなかったのか……。」
「………。」
「お前、俺のこと避けてただろ。嫌われたのかと思ってたんだぜ。」
「……ち、違……でも……」
アレルヤは項垂れた頭を弱々しく振って、息を吐き出した。
久方ぶりに聴いた声が、心をじわりと滲ませた。
(やっぱり…落ち着くな。)
掴んだチャンスを指の隙間から零してしまわないようにと、ロックオンは心の奥で煙を燻らせながら、アレルヤの身体と目線の逃げ場を奪う。
そして、切々と言葉を紡ぐ。
丁寧に丁寧に、単語を選んで。彼の心に届くように。
「悪ぃ……だめなんだ、俺。お前がいないと、だめ
――…なくせに、お前が今何考えてるか分かってやれねぇ……。」
(ティエリアにも気づかされた。失いたくねぇ…俺はお前を失いたくねぇんだ。)
子どもじみてて、自分勝手で、どうしようもない。
でも
――、それでも、失いたくない。
「………ごめんなさい…ロックオン。」
ロックオンの様子に意を決したのか、アレルヤは、苦しそうな程真剣に自分を見つめるエメラルドに、おずおずと焦点を合わせて声を出した。
「あの日……僕に、「好きか」って…訊いたでしょう?」
途切れ途切れ、今にも消えてしまいそうな声で。
その表情も、思わしい結果の期待できない、かたく暗い陰を纏っていた。
しかし、再び話すことができているという事実だけは、確かにロックオンを喜ばせた。
アレルヤの心をもっと知るために、本当の気持ちをぶつけ合ってみたいと。
「ああ、訊いたぜ。」
こく、と頷いてみせると、彼は少し躊躇って視線を泳がせた後、再び口を開いた。
「………僕は、すぐに答えられなかった。」
柳眉が切なげに寄せられる。
「あなたのことを想っていたはずなのに、僕にはあなたに「好き」と返すことができなかった…それが、悲しくて。」
その瞳から涙が零れないことが不思議なくらいの顔に、「もう、いい」と抱きしめたい衝動を必死で抑えて、ロックオンは真摯に耳を傾けた。
「――…あなたの傍にいると、きっと、そんな感情もおざなりにして、ただ温もりを求めてしまう。だから……、少し、1人で考えてみたかったんだ。」
懸命に言い切ると、アレルヤは、息の塊を吐いて呼吸を整えた。
それまでずっとロックオンに捉えていた手首を解放されても、もう彼は逃げようとしなかった。
ロックオンは溜め息混じりに苦笑いして、
「ったく……お前は、本当に真面目というか、極端というか。」
額を、コツン、と小突いてやる。
「だが、何かして嫌われたんならともかく、今さら「別に好きじゃなかった」と言われるとは、さすがの俺も予想してなかったぜ。」
ロックオンが自嘲気味に、はは、と笑いながら会話をシャットダウンしようとすると、アレルヤは、突然、「待って!」と小さく叫び、縋りつくように掌を差し出した。
アレルヤの瞳に「続きを聴いて」と訴えられ、笑みを引っ込めたロックオンは、唇を結んで再び耳を傾ける。
モノローグのような告白が続いた。
「距離を置いて1人でいくら考えてみても、答えは見つからなかった。だけど、あなたが追いかけてきてくれて…――
再びあなたの声を聴いて、あなたの体温に触れて…、分かったんです。」
(何だ…最後の審判がくだされる気分だぜ。)
「好き ――
では足りなかった。」
「…え?」
少し間を置いて発せられた言葉に、ロックオンは瞠目し、アレルヤをきょとんと見つめた。
「「好き」なんて言葉で片づけられるくらいの想いではなかったんです。だから、どこか引っかかって「好き」って返せなかった。」
アレルヤは、眉尻を下げて泣きそうな顔をしたまま、ふわりと笑ってみせた。
「僕にはよく分からないけど……、「愛」ってこんな感じなんでしょうか。」
「なっ…」
(……散々振り回して悩ませておいて、それは、反則だぜ。)
ロックオンは、全身の力がみるみるうちに抜けていくのを感じた。
「お前なぁ……。」
(だが、おかげで俺も、お前を失いたくないって覚悟を学べたけどな。)
呟いて、たまらず、アレルヤの身体を思いきり抱き竦めた。
甘い甘いシャンプーの香りを肺いっぱいに吸い込んでやる。
「畜生。もう、絶対離してやらねぇからな。1人で抱え込まずに、ちったぁ俺にも共有させろよ。」
「ロックオンは一緒にいるとすぐ触れてくるから、考え事がまとまらないんです。」
胸の中で、相変わらず頬を染めたまま、ふふ、と微笑んだアレルヤに、ロックオンは口を半分開いたまま反論できず、ただ、ぎゅっと抱きしめる腕に力を込めた。
「じゃあ、何も考えなくていいくらい、お前の中を俺が全部埋めてやるよ。」
だから、お前も覚悟を決めて。
ずっと一緒にいてくれよ、な。
〔fin 〕