うたかたの調べ

僕はあなたが思ってるよりずっと。
強いつもり。

あなたは僕が思ってたよりずっと。
繊細だった。

誰かが僕について、少しずつ知ってくれることが。
誰かについて、ひとつひとつ知っていくことが。
こんなにも嬉しいことだなんて。

暗い深海からじっと、水面に反射する光を見ていた、僕を。
あなたが手を伸ばして、絡みつく水の中から引き上げてくれたから。
僕の毎日は…――
ふわりと舞い上がった泡が、暖かい空気に触れて、ぱちぱちと弾ける瞬間のような。
軽やかな、心地よいリズムを奏でているよ。

だから、もっと、あなたのことを教えて。
僕は、強いから、傷つかないから。


【 うたかたの調べ 】


彼が僕に触れなくなった…―― もう2週間も。

会話はいつも通り。
ミッションについての事務的な話だけではなく、コーヒーを片手に交わす日常のとりとめのない話だって、その耳に心地よい声のトーンだって。
彼が僕に向けてくれる笑顔さえ、これっぽっちも変わっていない…――のに。
小指一つ触れない、ただ、それだけのことで。毎夜惜しみなく与えられていた彼の温もりが、僕の体の奥から溶け出して、薄れていくような感覚に、自分自身、驚く。
(あなたに抱きしめられることに、そんなに強い力があるなんて、知らなかったな…。)
「ん?何か言ったか?」
「…いえ。」
ほら、―― ズキン ―― ロックオンの笑顔が心に刺さる。
彼に触れたい、触れてほしい。
こんなことばかり考えている僕は、もう、ずっと、やわらかな赤い鎖に囚われている。

* *

覚えている。
彼の様子が変わったのは、2週間前のあの日。
彼の心を鎧のように覆う荊が、菫色の髪をした少年の白くて細い手に、千切り取られそうになったあの日。
―― …テロが憎くて悪いか…ッ ――
鎧で守っていた大切なものが溢れ出てしまう怖さ。
苦しそうに息を吐き出しながら。ギリ、と歯を鳴らして少年の胸ぐらを掴んだロックオンの顔は、怒っているというより、今にも泣き出しそうに見えた。
そんな彼の姿が、切なくて切なくて。
見ているだけしかできなかった僕が、悔しくて悔しくて。
だから…―― あの日も、僕は彼を受け入れた。
海岸でもつれ合い、砂まみれになりながら、感情が高ぶるままに、僕を ―― いや、何かを ―― 抱きしめた彼。
いつも優しく僕に触れてくれる彼の手が、乱暴で、物を扱うようだったと…、いつも穏やかに僕を見つめてくれる彼の瞳が、どこか、遠くを見ていたと、気づいていたのだけれど。
「…ぁッ…ひぁ…や…ッ」
「…は…、はぁ……く、そッ…」
「…つ……ッ痛!」
体を襲う圧迫感に耐え切れず、悲鳴をあげてしまった瞬間 ―― ロックオンは動きを止めて、は、と息を呑んだ。虚ろだった彼の瞳が見開かれ、僕の痴態が映る。
「あ……俺…。」
ごめん、と、うわ言のように繰り返し呟いて、彼の熱が出て行く。謝ってほしかった訳じゃない。
ただ、僕は、何も言えなかった。ロックオンの心が上げる悲鳴が、強すぎて。痛々しすぎて。
彼にそっと伸ばした手は、宙を掻いて砂を握った。
「ごめん、な。」
(謝らないでください。)
僕は、強いから。

* *

「…次の日になったら、何事もなかったようにまた笑顔を浮かべるなんて。」
(大人って、本当にずるいよね。)
僕は、夕日を反射し煌めく砂浜に、腰を下ろして独りごちた。
(彼は、大人で…―― ずるい。)
せわしなく行き来する波に、ブーツの先が洗われる。じわり、と水が浸み込んだ。
「アレルヤ。」
背中の後ろで砂を踏む音がして、彼の纏う温かい空気が薫った。
(ああ…やっぱり、ずるい。)
この温かさに、今すぐ包まれたくなる。僕は、彼のように大人ではないから。
「どうしたんですか。」
「いや…。ちょっと横座っていいか。」
「ええ。」
しばしの静寂。波に遊ぶ砂と、白い泡だけが僕たちを見ていた。
「こんなことを言うのは、不謹慎かもしれないけど。」
僕は、海を見つめたまま、風に乗せるように、ぽつりと言葉を吐き出した。
「僕は、知らなかったあなたの一面に触れることができて、嬉しいんです。」
隣に座ったロックオンが、ぴく、と肩を震わせる気配を感じた。
「……でも、俺にはもう、お前に触れる資格なんてないさ。」
「じゃあ…僕から触っても…?」
僕は、いつになく真っ直ぐ、ロックオンの方へ視線を向けた。
「だめだ…少しでも触れたら、俺は自分を止められなくなっちまう。」
(そうか。違った。この人は…――)
「2週間前のあの時、俺は本当に自分を見失って、お前を壊してしまいそうだった。これからも、俺はきっと…――」
苦しそうに眉根を寄せ、目を伏せる彼の睫毛が、儚げに風に揺れた。
(この人は、大人だけど、本当はどこか、子どもでいたいのかもしれない。)
「僕はそれくらいで壊れない。…あなたが思ってるよりも、ずっと、強いつもりだ。」
(僕の前では。)
「だから、もっと、あなたの傍にいて、あなたに触れて。」
(子どもでいてもいいよ。)

あなたを知りたい。

「……ッ」

2週間ぶりに、かき抱かれた腕の中は、相変わらず温かくて。
僕が、掌で彼の頬を包み込むと、ロックオンは、少し照れたように、困ったように、眉を下げて、ふわりと笑った。

やっぱり。
大人ぶって作った笑顔より、子どもみたいなあなたの笑顔の方が、こんなに素敵だ。

* *

「…ぁ…はぁッ…あぁ…ん」
あの日の砂浜の冷たさを打ち消すように。
くちづけを交わして。身体を重ねて。
今日の彼の手は、とても優しく僕に触れて、彼の瞳は、穏やかに僕を映した。
「あぁっ…あ…んぁ…は…」
波が背中を濡らして嗤っても、そんなことすら気にならない程、僕たちは夢中で心を混ぜ合った。
瞼の裏にチカチカ光る、打ち上げ花火。
満月に導かれるように、いつの間にか満ちてきた潮は、僕たちの火照った体をやんわり包んで揺れていた。

* *

「心中未遂か。」
ずぶ濡れのまま部屋へ戻った僕たちを見て、兎のような赤い瞳で眉を顰めた少年が、お決まりの毒を吐き出した。
「うん。まぁ、そんなところかな。」

今日。今までの彼と僕とを海に流して。
新しいロックオンを知った。

そこに、少しくらいの痛みを伴ったとしても。
彼が僕について、少しずつ知ってくれることが。
彼について、ひとつひとつ知っていくことが。
こんなにも嬉しいことだなんて。

だから、もっと、あなたのことを教えて。


〔fin 〕

Copyright (c) 2009 mR. All Rights Reserved.