もしも、流れ星に願ったなら。
大好きなあの子に触れることはできるのでしょうか。
だけど、一度触れてしまったら、きっと。
この想いを止めることができなくなるでしょう。
それでも、触れたいと願うことは…――
大好きなあの子を苦しめる、罪になるのでしょうか。
それとも。
すでに、身体中に朱が染みついた、咎人であるならば。
そんな罪など。罪など…――
赦しを請う事すら、もはや、下らない絵空事に過ぎないのでしょうか。
もしも、流れ星に願ったなら。
その答えは訪れるのでしょうか。
【
彗星の傷痕
】
白んだ空から、朝を告げる光が射し込む。
自らのけだるい体温に包まれたまま、もう少しだけ夢の続きを見ていたくて。
「うう…ん」
僕は、吐息を漏らしながら身じろぎ、寝返りをうつ。
と、ぼんやりした頭の中で、隣に何か違和感を感じた。自分のものではない、体温。
唯一思い当たる彼は、ミッションのために、オレンジ色の相棒を連れて宙に居るはず…では、誰…――
瞼をぴくり、と震わせ、薄く開いた左目に、太陽に照らされたまぶしい世界を映す。
混沌と平和が入り乱れた、愛すべき愚かな世界。
朝が来るたび、生きている安堵と、戦いへの絶望を与えてくれる世界。
2、3度瞬きを繰り返し、焦点を合わせた世界の中心に居たのは、
「……僕…?」
否、その髪は、鏡に映したように…――
「ハ、レ…ルヤ……」
到底あり得ない、ある得るはずのない現実を目の前にし、僕の頭はパレットの中身をぶちまけられたように、一瞬にして色彩を取り戻し、覚醒した。
「…!?」
形にならない驚きの声を発した僕は、硬いパイプベッドから飛び起き、部屋に設置されている簡素な洗面所へ駆け込んだ。
蛇口から止め処なく流れ出る冷たい水で容赦なく顔を叩き、ずぶ濡れのまま顔を上げて鏡を覗き込む。
鏡の中では、驚愕に瞳を染めたアレルヤ・ハプティズムが
―― 僕自身が、前髪から、ぽたぽた、と水滴を零しながら立ち竦んでいた。
いつもと違うのは、ただ
――、深く憂いを湛えたような、銀灰色の双眸。
錯覚でさえなければ、あの狂おしいほど煌めく金色の瞳は、僕の中から消え去り、今1つの個体を持ちこの世界に存在している。
「まさか…そんなこと……」
「あり得ねぇよなぁ。」
混乱した思考を遮るように、僕と同じ声が割り込んだ。はっ、と洗面所の入り口へ視線を向けると、開いた扉に右肩を付けてもたれかかり、腕を組んだ人影が、嗤っていた。
「君は、本当に…ハレルヤ、なのかい?」
その、人影…僕の分身に、問いかける。声が震えた。
「残念ながら、そのようだな。」
何が可笑しいのか、ハレルヤは、カカッと喉を鳴らし金色の目を細めた。
「なぜ…」
対照的に、僕の表情は、憔悴に囚われる。
「んなの、俺にも分かんねぇ……っと、1つだけ心当たりがあるか…いや、しかし。」
これもまた、あり得ない話だ、そう吐き捨て、ハレルヤはそれについての一切の質問を遮断した。
「理由なんてどうだっていいじゃねぇか。」
ゆらりと揺れる金色の中に、獣じみた狂気が滲んだのを認め、僕は本能的な恐怖を感じた。冷静さを装いながら、彼の横をすり抜けて、洗面所から抜け出そうとしたのだが…――
「…ッ」
小さな試みは、脆くも崩れ去った。肩口を掌で覆われ、ぐ、と強い力が込められる。
僕が「っ痛…」と細い悲鳴を漏らし、怯んだ途端、そのまま洗面所の壁に背を押し付けられた。無機質な壁が、冷やりと背中を包む。
「なーんで逃げようとするかなぁ。」
ハレルヤは身体を折り曲げ、嬉々とした表情で、僕の顔を覗き込んでくる。
同じ、顔…――
「まぁ、そりゃ逃げたくもなるか。俺が今何考えてるか、分かったんだろ。」
真赤な舌が覗き、下唇を這った。ゆっくりと自らの唇を味わったハレルヤは、その唇を僕の耳朶に当て、囁いた。
「お前の中から出ることができたら、俺がしようと思ってたことは1つしかねぇ……お前とヤることだよ。」
「…ハレルヤ…!」
危険な熱を孕んだ吐息に、鼓膜を震わせ、彼の下で身を捩る。
「お前をめちゃくちゃにしてやりてぇと思っても、俺がお前の中に居る限り、身体を触っても自慰にしかならねぇ。」
ハレルヤは、そんなのくだんねぇもんなァ、と嘲笑を浮かべて独りごちた。
「まさか、お前と同じ姿でお前とヤれるなんてなぁ。ハハッ!最高じゃねぇか!」
腰を乱暴に引き寄せられ、ハレルヤの右足が、僕の内股の隙間に捻じ込まれる。
「い…や、だ…」
幼い子どもがいやいやをするように首を振ると、彼の唇が歪んで、ギリ、と微かな音が漏れた。
「……あいつなら。あの男になら容易く身体を開くのに、か。」
「あいつ…?」
「…ッとぼけんな!お前の中にいる俺に誤魔化せるわけないだろ。ロックなんとかってやつとお前が毎日毎日…――」
「やめて…よ…」
密やかな行為を改めて口にされることへの羞恥に、僕の叫びは、弱々しい抵抗にしかならなかった。
俯く僕に向かって、上から下まで舐めるような視線を這わせ、ハレルヤが何か閃いたように「ああ」と呟く。
「そうか……、じゃあ、瞼を塞いでやるよ。」
あいつの 代わりに なってやる
――
「俺のプライドはそれぐらいじゃ折れねぇからな。」
同じ顔をしたその男は、不敵な笑みを浮かべながら顎の角度を変えて、僕の唇に舌を滑り込ませた。
吐息を混ぜ、唾液を交わしたそのくちづけは、思いのほか、甘かった。
*
*
「ぁあぁッ……っ」
床に体重を預けることも許されないまま、後ろからがくがく揺さぶられ、僕は嬌声とも悲鳴ともつかない声を漏らした。
ハレルヤのしっとりと冷たい掌が、僕の瞼を覆い、暗幕を下ろしている。
視界を奪われた闇の中で、淫猥な水音が耳を侵し、身体の芯をじわりと痺れさせた。
「…ぅあッ…はぁ…は…ぁ、あッ…」
「ハッ…想像通りの身体だな。」
性急で荒々しい動きに、翻弄される。
無理矢理押し拡げられた身体は、すぐに快楽を求めて蕩け、彼に合わせて形を変える。
まるで、一つになることこそが、ごく自然な行為であると思われる程に。
「ふ、ぅ…ぁ…っ……あ…んぁ……」
身体に電流を通されたような恍惚感に、耐え切れず、震える膝から崩れ落ちそうになるが、腰に回された手が、瞼を覆った手が、それを認めず、不安定な接続部が、ぎち、と音を立てて、一層深くなる。
「あ…ぅん…ぁっ……はぁっ…」
仰け反らせた背が、ぞくぞくと震えた。
現実が錯綜する。
今、僕を抱いているのは…――
「…っぁ…ロッ…ク……オ、ン…ッ…」
吐息の切れ間、思わず口をついて出た言葉に、首筋をなぞる舌が一瞬動きを止め、
「ぃ…た…っ」
首筋に、鋭い痛みが走った。
ハレルヤの歯が、薔薇の棘のように、僕の首に…――心に、刺さった。
しかし、恍惚感に支配された身体には、その痛みすら、いとも容易く快楽へと変換される。
「あぁ…あっ…あっ…あっ…あ…」
演奏に合わせてリズムを取るように、彼の腰の動きに合わせて、息が零れる。
口の端からは、拭うことさえ忘れ去られた唾液が、宙にとめどなく光の筋を描く。
「っ…ん……ぁあぁああぁ………ッ!」
身体の奥、深く深く穿たれた杭に、極彩色の光が閃いた。
果てる瞬間、ハレルヤの薄く開いた唇から、ぽつりと漏れた言葉は、押し寄せる快楽の波の合間に、泡を吐き出しながら、溶けていく。
「(……やっぱり…、俺は、お前に触れて……お前を傷つけた)」
とろり、と、流れ込むのは、白濁したダダイスム。
心の虚無を彩る世の中に対する否定、攻撃、破壊。
彼の額から頬へと流れる汗は…――ああ、自らへの、憐憫の涙。
その涙を拭うために、僕は彼の罪を分かち合うのだ。
君と僕とは一緒なのだから。
僕に赦しを請うことなど、必要ないのだと。
僕は彼の顎に伝う金色の雫を指でそっと掬い、同じ形をした身体をぎゅ、と強く抱きしめた。
「俺さァ。星に、願ったんだ。1度お前に触れてみてぇってな…。」
僕の腕に抱かれたハレルヤは、自嘲めいた笑みを浮かべ、そっと瞳を閉じた。
そのまま、僕たちはまた、穏やかなまどろみの侵食を受け入れ、夢に堕ちた。
*
*
「ロックオン。」
ミッションの報告を終えたその足で、まず僕の部屋を訪れてくれた、デュナメスのパイロットに、「おかえりなさい」と、微笑で応える。
「ただいま。」
ロックオンは満面の笑みで僕を抱きすくめ、額に軽いくちづけを落とした。
『くっそ!てめぇー俺のアレルヤに触んな!』
僕の右側では、彼がいつものように暴れている。
混沌と平和が入り乱れた、愛すべき愚かな世界。
朝が来るたび、生きている安堵と、戦いへの絶望を与えてくれる世界。
そして愛する人たちの居る、何も変わらない日常。
あ、そうだ、とロックオンが口を開く。
「昨日、すごく大きくて綺麗な流れ星が見えたんだ。アレルヤにも見せてやりたかったな。」
そう、あれはきっと、星の悪戯。
流れ星が見せた、幻だったのだ。
ロックオンの温かい胸の中で、瞼を伏せ睫毛を揺らした僕の首筋が、ちり、と痛んだ。
〔 fin 〕