コン、コン
――。
少し控え目なノックの後、心地良いトーンがドアから染みてくる。
「アレルヤ、ちょっと付き合ってくれ」
「ええ」
僕はその誘いに二つ返事で応えると、先程まで、慣れない暇を持て余しながら、指先でぼんやりと弄んでいたダイスをボードゲームの盤面に無造作に転がし、立ち上がった。と、ひやりとした足裏の感触に、己が裸足であったことに気づき、慌ててブーツに突っ込んだ爪先で、とんとんと床を叩いて具合を整える。
しばしの間の後、ドアを開くと、鼻骨にサングラスを引っ掛けたロックオンが、向かいの壁に凭れ、キーケースを真上に放り投げてはまたキャッチして――、そんな動きを繰り返していた。
サングラスのテンプルに小さく埋め込まれたプレートが、刻まれたネームバリューを誇るように煌めく。
まるで、ガールフレンドを玄関まで迎えに来たプレイボーイ、青春映画の一幕でも見ているようだと、僕は灰色の瞳を微かに眇める。――
とは言え、青春映画など殆ど見たことも無いから、想像に他ならなかったのだけれど、それでも、殺風景なプトレマイオスの廊下を背にしてすら、些細な仕草まで絵になる彼に、改めて
――、ほんの少しの驚きと、同性としての憧れ、そして、きゅうと胸が締め付けられるような甘い息苦しさを感じた。
「急に悪いな」
黒いグラスの向こうで悪戯っぽく光る翡翠を片方瞑ってみせながら、キーを握っていない方の革グローブが差し出される。
スマートなエスコートに思わず流されそうになるが、まさかクルーたちも居るプトレマイオスの中で男2人手を繋ぐわけにもいかないだろうと、戸惑う視線を隠す為、俯き気味に「いえ」とだけ答えた僕に、ロックオンは噛み殺しきれない笑い声を漏らし、
「地上に降りる用事があるんだが、せっかくだから、お前さんを誘ってゆっくりして来ても良いと思ったんだよ」
行き場を失った手を横に広げて肩を竦めた。
【
鶏の捧ぐリリック
】
ターミナルを後にした僕たちが、葉を失い肌寒そうな街路樹の下、肩を並べて歩き始めて、もうしばらく経つ。
宇宙と地上をこんなに容易く行き来できるようになるなんて、人間の進歩も捨てたものじゃない。それなのに、その発展による恩恵こそが次々と争いの火種になるとは、何と皮肉なことだろう…――
僕が、幾度考えたともしれない不毛な思考を廻らせながら、向かい風に髪を遊ばせていると、ふいに毛先を絡み取られた。
「何か悩み事でもあるのか」
長い指で僕の髪をやんわりと梳いたロックオンは、首を傾げて寄越す。
「あ、ああ、ごめんなさい」
他人と居るのに、つい、何時もの癖でぼんやりしてしまった自身を省み、しおらしく項垂れてみせた僕へ、「歩きながらぼーっとして、転ぶなよ?」と、彼は揶揄めいた声で言い、人差し指を突きつけた後、ふいに穏やかな表情を浮かべた。
「まあ、いいさ。いや、むしろ…――、」
「え?」
「俺と一緒に居ると、気張らずにリラックスしてもらえてるって、自惚れそうだぜ」
「っ…ロ……」
「お、居た居た」
彼の名を呼びたい衝動に駆られて唇を開いた僕の言葉は、彼自身によって遮られた。
「いつも俺の帰りを待っていてくれる麗しのレディへ、特別ご招待だ」
手の平を上にして宙を滑らせ、うやうやしく紹介されたレディーに見蕩れる。レディとは言えど、飾り立てて気取った貴婦人ではなく、ロックオンに愛されて馴染んだしかし艶のあるボディは、持ち主との久々の再会を喜びながら、淡く射す陽を浴びて煌めいた。
「ロックオンの車、ですか?」
「こっちでも、足があると便利だからなぁ」
開かれた助手席に促されるまま腰を下ろすと、思いの外柔らかい革のシートに包まれ、誰かの運転する横へ座ることなど滅多に無い僕も、緊張だとか居心地悪さだとか、そんなものすっかりどこかへ忘れて足を伸ばした。
ハンドルの上で両腕を組み顎を乗せたロックオンは、その様子をちらりと見て口元を薄く綻ばせる。
「少し遠回りしてドライブでもするか」
*
*
次々と後方へ飛んでゆく町並みを、眸で必死に追いかける。
ロックオンは、「あまり近くばかり見てると酔わねぇか」と、苦笑するが、それでも、全ての景色を網膜に焼き付けて、全ての音を鼓膜に浸透させて
――、僕の五感は、彼との束の間の休息を余す所無く味わおうと、貪欲に働いた。
プトレマイオスの展望室から見る星の海も、ロマンティックで好きだけれど、やはり、地上に降りると、人々の鼓動から与えられる"日常"に、酷く生を感じるのだ。それがたとえ勘違いだったとしても、そんなささやかな陽だまりでロックオンと過ごす1日は、素直に嬉しかった。
彼も、共に居ることを、小指の先程でも良い
――、楽しんでくれているだろうかと、心の内で密かに思いながら、ちらりと流した視線を、鼻歌混じりに細められた翡翠色の美しさに、半ばまで開かれた車窓の外へ慌てて戻す。
「…公園だ」
建物ばかり立ち並ぶ街中で、まさにオアシスなのだろう。
犬を連れた婦人、ボールを投げ合う親子、並んで散歩する老夫婦
――
ぐるりと周りを囲む木々の間から見える人々は、皆、穏やかに笑っていた。
窓から薄く顔を覗かせ、すん、と鼻を鳴らすと、まだひやりと冷たい風に乗って、青が芽吹く薫りがした。
「あっ」
「どうした?」
指で己の耳朶を撫ぜ短く叫んだ僕へ、運転がぶれないよう、ロックオンは前を向いたまま尋ねる。
「今、すごく綺麗な鳥の声が聞こえた気がして」
「それはきっと、ブラックバード…――クロウタドリだな」
その鳥は、美しい囀りで、近づく春の予感を告ぐ。
「新しい始まりを届ける、」
それは、何となく…僕たちが目指していることとも似ている気がした。
だけど、違うのは
――、
「それを、人々皆に笑顔で喜んでもらえるなんて、素敵な役目だね」
僅かな羨ましささえ感じながら、独りごちた。
さあっと吹き込んだ突風に身体をぶるりと震わせ、己を抱きしめるようにして肩を摩ると、「窓、閉めても良いかい」と尋ねた僕は、再び視界に現われた瀟洒な建物群を、硝子の向こうへ追いやった。
空を羽ばたきながら、ただ、希望の詩を歌うことができたなら。
詩人気取りでそう思う僕を見透かしたかのように、ロックオンは唇の端を歪めた。
「だからって、鳥になりたいとは思わないけどな」
「なぜ?」
「1度飛んでしまえば、きっと翼が傷ついて堕ちた後が怖くなる」
いつになく低いトーンでぶつけられ、僕はロックオンを見つめた。
しかし、瞬間見せた翳りを、さっと首の一振りで払い去り、柔らかい薄茶の髪をかき上げた彼はにっこり笑んだ。
「どうしても鳥になるってんなら、俺は鶏で十分だ」
「鶏、ですか」
飛ばない鳥。
「案外臆病者だからな。お似合い、だろ?」
「ロックオンが臆病者だなんて。……でも、確かに………、」
飛ばない、けれど、
最も身近な光を僕たちに教える、人。
ミッションだと自らに言い聞かせ手にかけた人の、聞こえるはずの無い悲鳴が木霊する夜
――、声を上げて泣きたくなるほどの苦しさを、胸にそっと触れ吸い取ってくれる彼の手の平の熱に、大きさに、何度、朝陽の温もりを感じて安心しただろうか。
今はまだ言えないけれど、いつか「やっぱりロックオンは鶏だ」って、耳打ちしよう。
*
*
「よーし、着いたぜ」
歩道に寄せてエンジンを停止し、キーを抜いたロックオンに、
「用事はすぐ終わるけどな、お前さんも降りるか?」
と、訊かれ、僕は勢い良く頷いて車から転がり出た。
ロックオンは慣れた様子で灰色の四角い建物の中へと進んだ。
彼の背を追いながら横目で内部を窺うと、上品なスーツを着込んだインテリジェンスな女性が、カウンターを隔てて向き合った客の相手をしている。察するに、どうやら、銀行か郵便局、そんなところだろうか。ロックオンはと言うと、カウンターに向かうでもなく、右奥の小部屋にするりと入った。
そこには、ロッカールームのごときボックスが縦にも横にも、所狭しと並んでいた。
ボックスの扉には小洒落た装飾文字で、連なるナンバーが描かれている。
「ここは?」
「P.O.Bだ」
「P.O.B…?」
「色んな詩の集まる所さ」
何かを探して視線を走らせながら歩を進めた彼は、あるナンバーの前でぴたりと止まった。ロックを解除し扉を開くと、数通の手紙を掴み出す。
宛名は、癖のある筆記体で読めなかったが、"N"で始まる名前のようだ。
僕たちの呼び名は所詮コードネームだったから、もしかすると、それはロックオンの本名なのかもしれないとすぐに勘付いたが、眸を凝らして綴りを解読する気にはなれず、僕は視線を逸らした。
「いわゆる、私書箱ってやつだな」
「私書箱」
それなら、どこかで耳にしたことがある。
「こちらの住所を知らせずに、昔の顔見知りと連絡を取るには、もってこいなんだ。例えば、兄弟へのクリスマスカードとかな」
「兄弟?」
「たとえ話だよ」
僕は、へえ、と相づちを打った。
「たまに相手の住所が変わっちまって、戻ってくることもあるが…――」
微かに寂しそうに微笑んだ後、ロックオンは、良いことを思いついたと顔を上げた。
「お前さんも私書箱作ってみたらどうだ」
思いがけない提案に、
「僕には…手紙を送る相手も、くれる知り合いも居ませんから」
考える間もなく、口をついて出た。
言ってしまってから、反芻した自身の言葉が拗ねた子どものそれのようで、多少の後悔が押し寄せるが、ロックオンは気にしない様子ですぐに応えた。
「俺が書いてやるぜ」
僕は眸をゆっくりと瞬かせる。
「ロックオン専用ですか?」
「俺のラブレターを受け取る為だけの私書箱なんて、贅沢だと思わないか?」
ふふ、と息を零した僕は、眉尻を下げて笑った。
なぜだか、少し、鼻腔がつんと痛んだ。
「そうですね。贅沢だ」
飛ばない鶏も、詩になって飛ぶのなら、行き着く先に、僕だけはずっと変わらず居ることができるように
――、彼を受け止めるためだけの、小さな巣箱を作ってみるのも良いかもしれない。
「考えておきますよ」
帰ろうか、と差し出されたグローブに、今度は迷わず、自分の手を重ねた。
包み込まれた温もりは、やはり、ベッドに差し込む朝の陽だまりのように、じんわり僕の身体に染み渡った。
〔 fin 〕