What's the last piece?

―― 最後のピースだけ、当て嵌まらないんだ ――


【 What's the last piece? 】


深い、深い、穴の中、重力に引き寄せられていく感覚。
きっと、アリスが兎を追って駆け込んだ、ワンダーランドの入り口より深い穴。
どれくらい堕ちたのだろう。
俯せになった掌に、頬に、ざらりと砂のようなものが触れ、俺はゆるゆると身体を起こし、立ち上がると、膝を掃った。
(ここはどこだ。)
目を、じ、と凝らしてみるが、一面真っ暗な世界。
キノコの森へ続く小さな扉も、背を縮める魔法のシロップも見当たらない。
ただ、右肩の向こうに、ぼんやりと温かいランタンのような灯の中、ぺたん、と膝をつけ座り込んだ小さな背中が見え、どこか孤独ではない安堵感に引き寄せられた。
後姿から察するに、年の頃は10を少し越えたくらいだろうか。
顔ははっきり見えない、が ―― 少年のようだ。
くすんだ色に染められたパーカーの、少しぶかぶかの袖から覗く小さな手が、黒い地面に向かって懸命に動いている。
「よぉ。お前さん、何してんだ。」
俺の声に、ふ、と手を止め、その少年が振り返った。
キャラメル色の柔らかな巻き毛がふわりと舞って、彼を包む朧げな光が揺れた。
そして、大きな瞳で俺の顔を、まじまじと見つめると、
「どこから来たの?」
と、問い返した。
「残念ながら、俺にもよく分からねぇ。どうやってここに来たのか。」
俺が「うーん…」と唸りながら、眉尻を下げて困ったように肩を竦めてみせると、少年は、ふうん、と呟いて、再びに手元に視線を戻した。
「…パズルを嵌めてるんだ。」
先刻の俺の質問の答えを、ぽつんと返してきた少年の薄っすら汚れた手元を覗き込むと、確かに、幾つかのジグソーパズルのピースが散らばっていた。
「…・・・…みんなバラバラになっちゃったから。」
噛んだ唇の隙間から、押し殺した声を漏らした少年の幼い手が、白くなるまで力を込めて、ぎゅ、と握り拳をつくり震えた。
「バラバラ?」
鸚鵡返しに小さく頷いて応えた少年は、き、と顔を上げると、わななく手を開いて前を指した。
俺の翡翠色の瞳が、少年の指の先を視線で追った瞬間、さっと風が吹き、それまで俺と彼の周りを塗りつぶしていた黒を、押し退けた。
突然開けた視界の眩しさに、俺は反射的に左手を上げ、額にひさしを作る。
掌でつくった陰の中、2、3度ゆっくり瞬きをすると、次第に景色の輪郭が浮かび上がり、俺は息を呑んだ。ひゅ、と喉が鳴った。
「…ッ」
広がる残骸の山。
崩れ去った日常。
「これは………」
「学校が終わった後友達と遊んでたら、いつもより遅くなっちゃって。母さんに怒られるかなって急いで帰ってきたんだ。」
本体から離れ、ただの部品に戻った腕、脚。
煙と混じり合って鼻につく、錆に似た匂い。
呆然と立ち尽くす人。
泣き喚く声、声、声、声、声。
「そしたら、家も母さんも父さんもみーんな、散らばっちゃった。」
俺の靴底が、ジャリ、と音を立てて、硝子の破片を踏んだ。
「…戦場、か……?」
(俺は今、戦闘の途中だったか?…いや、デュナメスからのこのこ出る訳が……それに、まず、こんな格好で暢気に彷徨ったりしねぇ…よな。)
シナプスの連結も緩慢で、思考がうまく纏まらない頭の片隅が、ちり、と痛んで、妙な既視感を覚える。見開いた翡翠の中で、虹彩がぐらりと揺れた。
「いや…これは……」
(まさか)
絶対に忘れないと誓った、あの、爆破 ―― テロ。
(まさか、まさかな…嘘だろ…おい……)
俺は、軽い眩暈を覚えながら頭を抱えた。
食い縛った歯が、ギ、と軋むような音で啼いた。
(デジャヴ……いや、違う。夢か。夢まで無力な俺を嗤うのか。)
「お兄ちゃん、大丈夫?」
不安を宿した瞳で俺を見上げ首を傾げた少年の声に、絡まった思考の迷路から引き戻される。
「あ、ああ…すまない。」
俺は唇の端を持ち上げ引き攣った笑顔を貼り付けると、彼の猫っ毛をくしゃくしゃと撫でてやった。
触れた掌から、少年の鼓動がどっと流れ込んでくる。
頭の中でニューロンが一斉に手を繋ぎ始め、俺はやっと納得した。
(そうか…お前は、)
「……ニール…」
少年は擽ったそうに身を捩り、翡翠色の大きな瞳を細めて怪訝な顔をした。
「どうして、僕の名前を知ってるの?」
「昔の…知り合いのようなもんだな。」
砕けた景色の惨状から、内心のざわざわした喧騒から、切り離されたように、驚く程穏やかな声が喉からとろりと溶け出した。
「ところで ジグソーパズルは完成したか?」
あの日の爆発でバラバラに散った心のパーツを、そろそろ拾い集められたのか?
お前さんは ―――― いや…、あの時の、俺は。
「あと1つなんだ。だけど、これ、ぴったり当て嵌まらなくて。」
眉間に小さな皺を寄せた少年は「違うパズルのピースが混じってたのかな?」と呟き、ふう、と不満そうな息を吐き出した。
「当て嵌まらないピース?」
少年が無理矢理抉じ入れようとしているピースを見ると、それは矢鱈赤黒く禍々しい、けれど魅せられるような妖しい色を放ち、四方に伸びた茨の棘のような切先は、少年の手をピースと同じ赤黒い色に染めていた。
「それは…何のピースだ………」
俺は、吐き気すら感じながら、尋ねる。
少年の翡翠色の瞳の奥に、ゆらりと碧い炎が揺れ、彼の口が静かに開かれた。
「これ?これは…………―― 復讐の」

* *

「ロックオン、ロックオン。」
穏やかな声が、羽根のようにふわりと心地よく鼓膜を擽る。
ゆさゆさと身体を揺さ振る手に、俺は呻き声を零しながら、重たい瞼をゆっくり持ち上げた。
薄く開けた瞳の中に、瓦礫の道ではなく、見慣れた白い床が映った。
「ベッドから転がり落ちたまま寝てましたよ。もしかして…僕、蹴り落としちゃったんでしょうか。」
声の方へ視線を上げると、切れ長の涼しい目元が、心配そうに俺の顔を覗き込んでいた。
「…アレルヤ……」
むく、と身体を起こすと、床にしこたま打ち付けたらしい体中が、錆びたブリキ人形のようにギシと悲鳴を上げた。
顔にかかる無造作にウエーブした髪を払い、
「いや、きっと、俺が勝手に転がり落ちたんだ。」
と、手をひらひらと振りながら笑ってやる。
俺の言葉に、アレルヤは安心したように微笑んだ。
その笑顔が、頭にこびりついた夢を少しずつ解いていく。
「…ロックオン!?」
込み上げた衝動のまま腕を伸ばし、胸に抱きとめると、アレルヤは睫毛を揺らし、頬を紅潮させて驚きの声を漏らした。
「…悪い……少しだけ、少しだけ、こうしてていいか…?」
肩口に顔を埋めたまま弱々しくそう吐き出すと、「…ええ」と小さく頷いたアレルヤの手が、ぽんぽん、と俺の背中を励ました。
あの日懸命に当て嵌めようとしていたピースが、本当に要る物ではなかったと気づいても、それを棄ててしまえる程、俺は物分かりの良い大人にはなれなかった。
自身に嘲笑を浴びせながら、いつからかずっと、左胸のポケットに押し込んだままになった棘々のピースを右手で弄くる。
(……だけどな、あのパズルの最後のピースは、やっと、見つかったようだぜ。)
俺はアレルヤを抱きしめたまま、その耳元に向かってささやかなリクエストを捧げた。
「なあ、アレルヤ…、ニールって呼んでみてくれないか。」
「ニール……?誰ですか…、とは、訊かない方が良さそうですね。」
ふふ、と、笑い声が空気を震わせた後、柔らかなテノールがあの少年の名を呼んだ。

愛する人たちに、もう1度「ニール」って呼んでほしかったんだ。
なあ、そうだろ、ニール。
―― これで、あの日のジグソーパズルは、元通りに完成させられたか?


〔fin 〕

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