物語の、おわりに
ふいに覚醒した。
宵闇に眸が慣れてしまう前、肩の向こうで身じろぐ気配を感じ、囁くように尋ねる。
「寝れないのか?」
突然投げられた問いかけに吃驚したのだろう。
一瞬詰めた息を、小さく吐いて、
「あ……起こしてしまいましたか…?」
申し訳なさそうな答えが返ってきた。
少し声が籠もっている。
ああ、きっといつものように眉尻を下げて、俯いているのだろう。
ロックオンは、身体をくるりと反転させ、僅か戻った視力の捉えた予想通りの姿に笑みを零しながら、薄っぺらいブランケットから引き上げた掌をそっと差し伸べた。
さらりと滑らかだがこしのある髪が指先に触れる。
それを絡め取るようにくしゃくしゃ頭を撫ぜてやると、戸惑いつつも、彼――アレルヤは、グローブに包まれた温もりを享受した。そして、呟く。
「……色々…考えていると、眸が冴えてしまうんです」
「考えごと?」
「ええ、取り留めのないことばかりだけど」
敢えて「どんなこと?」なんて聞きはしない。
同じだ。
恐らく、己も含めてこの艦に乗る大半が、同じように、漠然とした時代の欠片に憤り、恐れ、悩んでいる。
それを言葉に顕せなんて、誰が言えようか。
「そうか」とだけ、返す。
幸運なことに、ロックオンは、眠れない夜でも必ず夢の国へ導いてくれる、そんな方法を知っていた。
自らこそが、羊を何匹数えるも睡魔の召喚にしくじりひっきりなしに寝返りを打つ、まだ子どもだった頃の記憶だ。
少なくとも自分達兄弟には効果覿面だった魔法を、アレルヤにもかけてやることができれば。
「なあ、」
「え?」
絹糸のカーテンから滑らせた手でアレルヤの頭を抱き寄せ、耳元に提案を1つ。
「こうして一緒の夜は、俺が"お話"してやるよ」
「お話?それなら、いつも………」
「アイドルトークでもピロートークでもないぜ。フェアリーテール…子守唄代わりに口ずさむおとぎ話さ」
大の男が2人並んで寝そべって――、まるで非科学的で夢見がちな物語を唄い聞かせる光景は、傍から見れば心底滑稽で、しかし、酷く優しい空気が充ちていた。
幼稚な本を幾つか読んだことはあるけれど、と言うアレルヤは、何百年も前から語り継がれすっかり色褪せたファンタジーでも素直に楽しんだ。仕舞いまで微笑を湛えて聞き、ようやく、すやすやと穏やかな寝息を立てる。その規則正しい呼吸の音が今度は、ロックオンを眠りへ誘う。
思いの外、次のミッションまでの待機期間が長かったものだから、いつの間にか連夜の習慣にすらなっていた。ロックオンなど内心「俺の方が癖になっても困るな」と苦笑するほどに。
その晩は、月が明るかったせいか――、
聞き手は珍しく饒舌な語り部に変じた。
「あまり覚えていないけど……、ずっと昔、僕もこうして人に絵本を読んだような気がします」
チューリップから生まれた小さなお姫様が王子様と結ばれて「めでたしめでたし」、そこで、1つあくびを噛んだアレルヤは、静かに呟いた。
「そうなのか?」
誰にともなく向けられた言葉をロックオンが拾うと、
「はい」
こくりと頭が上下し、会話が続いた。
「だけど、読み聞かせてもらうのは初めてだ……誰かの声にただじっと耳を傾けているのって、こんなに、落ち着くんですね」
言ってしまってから僅か逡巡した青年は、睫毛を伏せて、ふふ、と笑みを零した。
「ううん……あなたの声だから、かな」
褒められればもちろん嬉しいのだが、唐突に直球を投げられるといやに照れくさくもあり、
「そりゃ、光栄だな」
唇の右端を、にやりと持ち上げて誤魔化した。
アレルヤは気に留めない様子で「それに、」と言う。
「ロックオンのお話はハッピーエンドばかりだから、安心して聞いていられるよ」
気付かなかった。
指摘されて初めて知る。
無意識にもハッピーエンドしか話さないのは、明るく幸せな物語にアレルヤが心をシンクロさせたまま眠りにつけるようにと、魔法に振りかけたとっておきのスパイス。
――だなんて、つまらなすぎる言い訳だ。
ただ、2人で過ごす時間の中で、あぶくになった人魚だとか、寒さに震えてマッチを擦った少女だとか、そんな結末を思い出すのが怖かった。
現実は甘くないと思い知らされるのが、怖かったのだ。
ロックオンが「臆病だと笑うか」と視線を流した先で、アレルヤはゆったりと眸を細めた。
「僕自身にはハッピーエンドなんて、望まないから…その分、たくさん教えてほしいです」
月の青白い光が、彼の右頬を流れる、漆黒の前髪に沿って煌めく。
それは、零れる泪にも似て美しく、
「………本当は…、お前さんとこうして強く手を繋いだまま……何も考えず、呼吸も思考も全部白く消していけたら、それも1つのハッピーエンドなのかもしれないが…――、」
同時に、ロックオンをやたら感傷的にさせた。
柄にもなく、おとぎ話より夢見がちで情けない台詞を漏らしてしまう。
アレルヤは微笑んだまま、かぶりを振った。
「……それでも、僕達はまだ止めない、でしょう?」
辿り着く先、身体があぶくになるとしても、最後のマッチが消えるとしても。
双つの翡翠が、はっと見開かれた。
守ってやりたいとすら思わせるアレルヤが、時折自分よりずっと強く前を見据えていることに驚かされる。
「そうだな。ハッピーエンドは、俺たちの目指すべき場所じゃない」
「目指す……場所」
「ああ。ハッピーエンドが約束されているとして、お前さんがシンデレラなら、喜んで灰の中を這いずり回るか?白雪姫なら、毒林檎をむしゃむしゃ食べるか?」
問いに問いで返すように、アレルヤは眉をぴくりと動かして、ロックオンに答えを促した。
「俺たちなら、そんな世界に喧嘩を売るだろうぜ」
だからここに居るんだもんなぁ、と付け加えた悪戯な笑顔に、肩を並べた青年が声を立てて笑い頷く。
ハッピーエンドが誰よりも似合う彼の、ハッピーエンドを誰よりも望まない、その震える肩。
おもむろに両腕で包み込むと、羽根よりも柔らかい吐息が胸に触れた。
「ここに居る以上、残念ながら、お前さんにもハッピーエンドはプレゼントできそうにないが…――、」
ロックオンは抱きしめる力をぎゅうと強め、
「1つだけ、約束するさ」
しっとりした髪に鼻先を埋めて、祈るように言った。
「俺の物語のおわりには、きっと、表紙に戻って「親愛なるアレルヤへ」と記そう」
愚かしくも演じきった物語の全て――話せなかったことも含めた全てを、捧げられるように。
眠れない夜は、どうか読んで笑ってくれればいい。
最後に紡ぐその唄はハッピーエンドでなくとも、アレルヤと言う名を知って以降は確かに、どこか温かく充ち足りているはずだ。
「それが、どんな結末であっても……」
と、ロックオンの願いに応えてアレルヤの唇が薄っすら開く。
「……一晩では、読みきれないほど…長い物語でありますように」
腕の中で、穏やかな、穏やかな声が、ぽとりと落ちて月明かりに滲んだ。


〔fin 〕
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