しとしと しとしと
「好きか嫌いかなんて、考えたことなかったです。」
しとしと
しとしと
「俺は、結構好きだね。」
【 或る雨の日
】
枠に当たり跳ねる雨の飛沫によって、薄く曇った窓ガラスの上を、す、と掌で撫ぜて、僕は口を開いた。
「よく降りますね。」
僕の傍、窓辺に寄せた簡素な丸椅子に腰掛けたロックオンは、僕の投げかけに顔を上げ一瞥すると、再び伏せた視線を、右手に乗せた本の上を走らせながら頷く。
「そうだな。」
次の出撃命令を待ち、殺風景な中継基地で2人きり、何日も続く長雨を過ごすことは、少なからず手持ちぶさたで、僕は小さく身じろいだ。
沈黙してしまうと、この四角いスペースは、ただ、時折柔らかい革手袋がページを捲る微かな摩擦と、窓の向こうの、しとしと
という囁きのみに包まれる。その静寂の中では、僕の息遣いや、ごく、と鳴らした喉の音すら響いて伝わってしまうのではないかと、僕は、まるで何かに急かされるように言葉を繋いだ。
しかし、残念ながら、相手を楽しませる会話を、次から次へと思いつくことのできる器用なタイプの人間ではない僕の言葉は、自身が辟易してしまう程お粗末で…――、それでも、ロックオンは1つ1つに微笑み、頷き、相づちを打ってくれる。
ああ、優しい人だね。
しとしと
しとしと
とうとう、話題に尽きた僕が、神妙な顔つきで、「こんなに雨が降るなんて、基地の建つこの島の地面など、全て溶け海に流れ出てしまうのではないか」などと呟くと、彼は瞳を細めてさも楽しげに、はは、と笑い声をあげる。
そして、ふいに、パタンと本を閉じて窓の縁に肩肘をつき、首を傾げながら、
「雨が嫌いか?」
斜めに見上げて寄越した。
しとしと
しとしと
「え?」
それまで僕の相手をしながらも、穏やかに読書に耽っていた彼の方からアプローチがあるとは思わず、僕は瞬間瞳を揺らしてぽかんとした。
ロックオンは、再び同じトーンで問う。
「雨が、嫌いなのか?」
そう言う彼の利き手を覆う漆黒のグローブが壁を滑り、そっと、窓を撫ぜて堕ちた僕の手に重なった。
「……っア。」
しとしと
しとしと
雨の音が密度を増した気がした。
しっとりとした感触が指に絡まり、弄ぶ。
僕が手を引っ込めようとすると、反対に、ぐ、と力を込めて手繰り寄せられ、僕は僅かに高い悲鳴と共にバランスを崩した。思わず転がり込んだ先は、温かい腕の中。
震える唇を隠すように、俯き、睫毛を伏せた僕は、口早に返す。
「好きか嫌いかなんて、考えたことなかったです。」
確かに雨音に支配されるのを畏れるように喋ってはいたのだが、改めて雨が嫌いかと問われると、それ自体に関しては、特別好きだとも嫌いだとも思わなかった。
彼は口の片端を持ち上げて、「今日は、いつになく饒舌だぜ」と揶揄を含んだ笑みを僕に向けた。ロックオンの翡翠の奥底が悪戯に煌めく。
しとしと
しとしと
そう言えば、以前に ―― お前さんが饒舌な時は、何かから目を逸らそうとしてる時だとか
――、そんなことを言われたことがあった。
しとしと
しとしと
「まあ、確かに……髪が湿気を含んでうねるのは、頂けねぇんだよなぁ。」
胸に僕を迎え入れたまま、ちょい、と己の柔らかそうな猫っ毛を抓まんで大仰な溜め息を吐いてみせる。明るめのキャラメルブラウンは、彼の顔を包むようにウェーブし、さらに光を吸って瞬き、僕はそれをとても綺麗だと思ったのだけど。
ロックオンのすらりと長く伸びた指は、彼の頭を離れ、僕の深い色の髪を梳いた。
「アレルヤの髪は、クセがなくて触り心地がいいぜ。」
しとしと
しとしと
「だが、鬱陶しい雨も……」
ふと動きを止めた彼は、パチン、とウインクしてみせる。
しとしと
しとしと
「俺は、結構好きだね。」
しとしと
しとしと
雨足が早まる。
雨足が、早まる。
痺れるような身体の奥底から、煩い雨の音が沸きあがる。
「好き……なぜ、です?」
語尾がいやに掠れて、僕は慌てて「雨を好きだなんて珍しいと思うけど」と、敢えて彼の耳まで届く音量で独りごちた。
ロックオンは、ふ、と鼻から抜ける息だけで笑み、そして、顔を抱きしめた僕の肩口に埋めた。
「けぶる雨の幕の中なら、お前さんの顔も、声も…――、独り占めできるだろ。」
しとしと
しとしと
生温い呼吸を耳朶に感じて、僕は押し留め切れなかった、声にならない声をトロトロと零しながら、ロックオンのシャツを握った。
彼の薄く開いた口の狭間から覗く紅い粘膜が、首筋を這う。
抗えない。抗わない。
本当は、初めから待っていたのかもしれない。
僕の頬を、首を、鎖骨を味わい、幾つかの鮮やかな花を描いた形の良い唇を離し、ロックオンは笑顔を浮かべた。
「饒舌の訳は、"雨"じゃなくて、"期待"か。」
しとしと
しとしと
その不敵な笑顔はハッとする程彼の魅力を増した。
僕は、次第に心地よく感じ始めた雨音の侵食を受けながら、美しい彼に唇を寄せた。
しとしと
しとしと
しとしと しとしと
〔 fin 〕