| 「よぉ。」 「こんばんは。」 アレルヤに出会って、夜がこんなに待ち遠しいことを知った。 例え暗闇でも、そこに見えないはずの色を、そして、温かい体温を感じる。 もう何度交わしたか知れない、宵の始まりを告げる挨拶。 近頃では、アレルヤも、俺が来ることを待ち詫びてくれているようだ。 だが。 俺は一体いつまでこの関係を続けるつもりなんだろう。 "夜の間だけの、暗闇の中だけの、不思議な話し相手"から抜け出す術が見つからない。 1段1段踏みしめて登っていたはずのステップが、ここに来て先を失い、それこそ、闇の中にいるかのように、俺は迷いながら同じ場所で足踏みを繰り返していた。 「何か、ありました?」 アレルヤが楽しそうに話す、動物やボードゲームの話に相づちを打ちながら、ぼんやり思案を巡らせていると、彼が顔を覗き込む気配がして、俺は、ぱ、と身を離し「どうして?」と首を傾げた。 「何だか上の空のようだから。」 「ロックン カンガエゴト」 「ああ、アレルヤが楽しそうに話すのがかわいいから、聞き惚れてた。」 「またそんなこと……」 ふふ、と恥ずかしそうな含み笑いが、床一面に敷かれた柔らかい絨毯の方へと零れ、期待を裏切らない反応を返してくれるアレルヤ。 お前の全部を俺のものできるはずの、ステップのてっぺんは、どこにあるんだろうな。 「なぁ、アレルヤ。お前は俺が怖くないのか?」 思わず口ついて出た言葉に、俺はすぐに後悔する。 今さらこんなことを聞いて、どうしようってんだ。 それでも、優しい彼が律儀に返してくれるだろう答えを期待した自分も、確かにそこにいた。 本当は、ずっと知りたかったのかもしれない。 「……僕、時々あなたは天使なんじゃないかって、思うんです。」 遠慮がちに呟かれたアレルヤの言葉に、俺はぽかんと瞳を丸くし、そして腹を抱えて笑う。 「似たようなもんだったりしてな。」 なあ、アレルヤ。 俺は、いつまでお前のおとぎ話の住人でいたらいい? * * だが、幸か不幸か、その絵本のフィナーレは、呆気無い程すぐに訪れた。 その日。俺は、気を抜いていたとしか言えない。 「よぉ。……っと。」 鉛の矢を射るために来たあの夜以降では初めて、アレルヤが俺を待たず眠っていた。 俺はベッドサイドへ爪先を向けると身を屈め、久方ぶりに、じ、と目を凝らしてその寝顔を見つめる。 穏やかに息づく黒い影の上に、褪せない記憶の中の、美しい寝顔を重ねて。 細い顎に、形の良い少し薄い唇、鼻梁の通った端正な顔立ち。 そして、鎖骨を流れる深緑。 俺は惹き込まれるように手を伸ばした。 少し跳ねたくせのある、柔らかな髪が指先に絡む。 そのまま滑らせて顎のラインに触れると、その肌はしっとりと指に吸い付き、俺はアレルヤを起こさないように、しばらくその感触を楽しんだ。 彼の温かさに、柄にもなくしみったれて、いわゆる恋煩いに悩んでいた心も、解かれていく。 やっぱり…、好きだよ。お前さんのことが、心の底から、な。 そうして、寝顔に満足して、帰ればよかったんだ。 その日。俺は、気を抜いていたとしか言えない。 次に記憶が戻ったのが、自身の、肩に受けた痛みなんて。 そう。俺は、アレルヤのすやすやと心地よい寝息にシンクロするように、いつの間にか眠りの森へと誘われちまってたんだ。 失態 ――、誰かさんが言うなれば、万死に値するほどの失態、ってやつだぜ。 「熱っ……!?」 「……っ!」 瞳を開くと、真っ暗だったはずの部屋は朧気な光に包まれて、シルエットだったはずのアレルヤは目を覚まして起き上がり、本来の色彩を取り戻していた。 肩に感じた痛みは、彼の震える手に握られた蝋燭から垂れてしまったらしき蝋。 ついに、見られちまった、見られちまったぜ。 「…アレルヤ…起きたのか。はは、俺……、寝ちまってたんだな。」 動揺を抑えて弱々しく笑うと、アレルヤの答えは俺を吃驚させるに十分で。 「……寝たふり、だったんです。」 「寝た、ふり…?」 「兄達が『正体を現さないのは怪しい。恐ろしい怪物かもしれない』と…僕がいくら良い人なんだって言っても聞いてなんてくれない。だから、僕、確かめたくなって…思わず……。顔はまだ見せられないって、貴方に言われていたのに……」 項垂れたアレルヤの「……あなたを、疑った訳じゃ…ないんです……」という語尾は、同時に吐き出された嗚咽に飲み込まれた。 「そうか……」 「…ごめんなさい……」 そりゃそうだよな。 パンドラだって、最後には箱を開けちまった。 見えないものは見たくなるのが人間のカルマ。当然のことなんだ。 それを、顔は見ないで相手してくれって、勝手な都合で振り回してたのは俺の方だぜ。 そんなかわいい顔して、泣くなよ。 余計辛くなっちまう。自分の罪の重さを感じちまう。 「どうだった?俺の姿。怪物だったか?」 アレルヤの手の蝋燭を優しく奪うと蜀台に戻し、俯く彼の頭に、ぽん、と掌を乗せた俺は、努めて明るく、取り繕うように瞳を細めてみせる。 彼は何度も首を横に振った後、俺の顔を真っ直ぐ見つめて言った。 「…信じられないくらい…すごくきれいです……」 ああ、まったく……最後まで、敵わないよな。 「俺も、また明るい所でお前のかわいい顔が見れて、ぶっちゃけすごく嬉しいんだぜ?」 「……ロックオン…」 さらさら揺れる髪を撫でた俺の手は、する、と動いて頬を覆い、アレルヤの切れ長の涼しげな瞳と視線を絡め合う。控えめな、しかし、その奥底に沈んだ慈愛はきっと、何ものにも染められることのない深い深い銀灰色の瞳。縁取る睫毛に光る雫を、指でそっと掃ってやると、彼は頬を少し染めて微笑んだ。 視線を外さないまま俺が顔を寄せると、アレルヤの宙を泳いだ視線がやがて閉じられた上下の瞼の向こうに押しやられる。 触れるだけのささやかなくちづけを、2度。 「俺の方こそ、ごめんな、アレルヤ。」 合間に、重なった唇の狭間から囁くと、アレルヤは「え?」と虹彩を揺らした。 おとぎ話の終幕に、おとぎ話のような現実を、お前さんに。 「俺、天使じゃなくて神様なんだ。」 「か…み……?」 「神様って人間に姿見られたらお仕置きされちまうんだよなぁ。」 俺は神。彼が人間である以上、最後のステップなんて、初めから無かったのかもな。 どんな罰かなんて知ったこっちゃねぇが、きっと、全ては射間違った矢の贖罪。 甘んじて受けてやるさ。 ただ、俺のワガママな夢にずっと付き合ってくれた、心優しいアレルヤの ―― アレルヤの涙が、もう、流れることなどないか。それだけが気がかりだな。 だから、彼が心配しないように、俺は笑顔でラフに言ってやる。 「ちょっと行ってくるぜ。」 「待っ……」 アレルヤが最後に差し伸べた手は、俺の背中の残像を掴み、崩れる膝と共に、はらり、と床に堕ちた。 * * 「ねぇハロ。ロックオンは無事にしてるのかな。」 『…………』 「あれから3週間……もう、会えないのかな。」 『…………』 「ハロ?」 『…………』 「昨日まで話せていたのに。ハロまで行ってしまったのかい?」 「よぉ。」 「……――っ」 声を発することも忘れて限界まで瞼を開いて振り返ったアレルヤの手から、オレンジ色の星が、ぽろ、と離れた。 足元に転がってきたそいつを拾い上げると、 「神としての力を失ったから、俺が星に与えた力も消えちまったんだな。」 と、独りごちた。 「…な、ぜ……」 幽霊でも見たように震える声で「信じられない」と呟くアレルヤに、俺は、親指を立て、ウインクを投げてやる。 「神様、辞めて来ました。」 ……まぁ、クビなんだけどな。 俺に与えられた罰は、神の力を奪われ、地上に堕とされることだった。 「今はただの人間だぜ。」 楽園のような神殿で暮らし、歳も取らず死の恐怖もない神々にとって、か弱い人間に成り果てることは、この上ない苦しみらしい。 だけどな、俺は、食べて飲んでだらだら暮らす退屈な天上の生活になんて、何の魅力も感じなくなっていた。それどころか、金の矢を受けた、否、アレルヤに出会ったあの夜から、何度そんな叶わぬ夢を見たことか。 「まさか、お前さんと同じ人間になって、明るい空の下で一緒に歳を重ねられるなんてな。」 「ロックオン……っ!」 ただ呆然と立ち尽くしていたアレルヤが、胸に込み上げる衝動に突き動かされるように、俺の胸に飛び込む。そして、眉尻を下げて泣きそうな顔で、ふわり、と、星よりも太陽よりも目映い微笑みを浮かべた。 「本当に、あなたには最初から驚かされてばかりだ。」 「なんたって、元神様だからな。」 「もう……置いて行かないでください。」 「ああ。」 俺は、ぎゅ、とアレルヤの身体を抱きしめた。 最後に射た金の矢が、俺に当たって。 アレルヤに恋して良かった。 ありがとな、今はもう ―― 過去の、神様。 fin. |